2014年11月2日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 今川了俊の失脚 (1395年) 南北朝が統一(1392年)された三年後、第三代将軍の足利義満は、九州で勢力を伸ばす探題・今川了俊に危険性を覚え帰京の命を出します。目の上の瘤だった了俊の失脚劇に少弐、大友、島津ら九州の守護たちは大喜びし、特に「水島の変」 […]
2014年11月1日 / 最終更新日時 : 2023年6月17日 kento 南北朝・室町 福童原の戦い (1375年) 今川了俊に大宰府を攻略され、筑後の高良山に移った菊池氏はそこで抵抗を続けますが、不運なことに、翌年に菊池武光、翌々年には後を継いだ菊池武政が立て続けに没します。 1375年、武光の甥・菊池武安は現状を打開するため高良山を […]
2014年11月1日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 今川氏の九州攻略 (1372年) 1370年、九州に入ることも叶わなかった渋川義行に代わり九州探題に命じられた今川了俊は、九州攻略を三方面より進める策を取り、豊後に嫡男の今川貞臣を上陸させ高崎山城に籠城させます。また弟の今川仲秋を肥前へ上陸させ大宰府へ向 […]
2014年10月18日 / 最終更新日時 : 2023年12月24日 kento 福岡史伝 壬申の乱-筑紫- (672年) 天智天皇が崩御すると、その半年後の672年6月に、吉野で出家していた天皇の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)が東国に向かい、挙兵の動きを示します。 時の都の大津では不穏な空気が流れ人々は避難の準備を始めます。大津に在した […]
2014年8月28日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 都井岬の馬 宮崎の観光名所のひとつ「都井岬」にはの野生馬が生息していることで有名ですが、これは秋月藩が軍馬育成のために放牧したものが野生化したものといわれています。 秋月氏は「藤原純友の乱」を平定した大蔵春実の血を引く家柄で、九州で […]
2014年8月27日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 余談 「新選組始末記」について このサイトでも真木和泉、平野國臣、篠原泰之進の項で参照している「新選組始末記」ですが、残念ながらこの書は史家や歴史作家より創作の部分が余りにも多過ぎるとの指摘があります。著者の子母沢寛氏自身もその「あとがき」で次のような […]
2014年4月6日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 号・如水の意味 豊前で抵抗をする武将・城井鎮房(きいしげふさ)を中津城で謀殺した翌年、官兵衛は家督を長政に譲り如水を名乗ります。不本意な方法で事を終結させた官兵衛はこの辺りが自分の引き際と考え隠居を望んだのかもしれません。 号「如水」の […]
2014年3月21日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 孫子の兵法の事 「孫子」は中国の春秋時代末(今から2500年ほど前)に孫武によって書かれたと言われる兵法書ですが、日本でも古くから軍事を学ぶテキストとして多くの人が通読していたようです。当然、黒田官兵衛や竹中半兵衛も若き頃にこの兵法書を […]
2014年2月22日 / 最終更新日時 : 2023年10月22日 kento 余談 半兵衛と官兵衛 竹中半兵衛との接点は官兵衛が信長に謁見した1575年頃から1578年に有岡城で荒木村重に拘束されるまでの約2~3年の僅かな期間です。 この二人は秀吉の元で同じ参謀として働くのですが、性格はまったく対照的なものだったようで […]
2014年1月3日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 棟上げの菓子袋の思い出 以前は棟上げといって新築家屋の骨組みが出来上がると、餅を撒いたり近隣の子供たちに菓子の詰まった袋を振る舞ったりする風習がありました。 今でもこの様な習慣の残る地域もあると思うのですが、 私も数十年前の小学6年の頃にこの棟 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 正室・光の読みは? 官兵衛は生涯を通して側室を置かなかったようですが、これは一時信仰したカトリック教の影響を受けたからなのか、それとも正室・光との 心の繋がりが強かったからなのかよく分かっていません。 ところで正室・光は最近まで「てる」と呼 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 光雲神社 光雲神社(てるもじんじゃ)には藩祖・黒田如水公と初代藩主・黒田長政公が祀られてます。 この地には以前、徳川家康を祀る東照宮がありましたが、維新で幕府が倒れた後は新政府への配慮からか廃れたようです。 そして1909年に天神 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月24日 kento 余談 如水・殉死の禁止 「人を殺すと言ふは容易ならざることなり」 如水は戦場以外では敵でも配下の者でも、その命を奪うことをたいへん嫌ったと言われます。 「配下の者を手打ちにするなどは短慮の至り」と言い切り、部下を手に掛けることは生涯一度もなかっ […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 如水の隠居生活 1589年、官兵衛は如水と名乗り長政に家督を譲り隠居しようとしますが秀吉に許されず、 実際に隠居生活に入るのは12年後の「関ヶ原の戦い」の翌年でした。 隠居した如水は太宰府に庵を結び和歌・連歌を楽しんだと言われます。 如 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月24日 kento 余談 如水の気配り 天才肌の人は気配りをしないといったイメージが個人的には強いのですが、如水は気配りにおいても一流の人だったようです。 部下がなにか失敗をしでかすとしこたま叱りつけはするものの、その場で簡単な用事を言いつけ主従関係が壊れてい […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 官兵衛と立花宗茂 官兵衛と立花宗茂の二人には大きな接点が三度あります。 先ずは1586年に「岩屋城の戦い」で父・高橋紹運を討たれた宗茂が立花城に籠城し、九州制覇目前の島津軍を迎え撃った時の事です。 秀吉に九州の島津攻略を命じられた官兵衛は […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 官兵衛の兜 如水が一番大事にした兜 -銀白壇塗合子形兜(ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと)- は何故か現在、 岩手県盛岡市に存在していますが、その経緯は次の通りです。 兜は正室・光の実家の櫛橋家より光との婚儀の前年に送られたもので […]
2013年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 官兵衛的な人たち えらく豪胆な人、すごく気配りのできる人、運動神経が超人的な人、仕事が超速い人、信じられないぐらいな美形な人。 永年 社会で仕事をしていると色んな面で優れた人とめぐり合うもので、私も「この人なんでこんな頭ええんやろ」 と感 […]
2013年9月12日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 余談 宮古の思い出 1987年頃の事だったと思いますが、バイクでの一人旅、北海道へ向かう途中の岩手県での話です。 「新選組副長の土方歳三率いる幕府軍が最新鋭軍艦『ストーンウォール号(米名)』を奪い取るため官軍に奇襲かけたという 海をひとめ見 […]
2013年8月14日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 余談 三国志について 「邪馬台国はどこ?」の冒頭で「皆さんよくご存知の『三国志』には・・・」と書いてしまいましたが、正確に書くと日本で一般的に知られているのは晋の時代に陳寿によって書かれた史書の「三国志」ではなく、明の時代に書かれた羅貫中の「 […]
2013年8月8日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 余談 「御堂関白記」が世界記憶遺産に登録 6月18日に藤原道長の「御堂関白記」がユネスコの「世界の記憶」に登録されました。日本の古典が世界に評価されるのは非常に喜ばしい事ですが、この人は結構傲慢な人間性の持ち主だったようです。 平安時代中期に兄・藤原道隆が大酒が […]
2013年3月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月9日 kento 江戸 黒田騒動 (1632年) 初代藩主黒田長政は「後継者には三男の長興(ながおき)を・・・」と考えますが、家臣の栗山大善(だいぜん)等の反対に押され長男の忠之(ただゆき)を後継者とします。しかし、この長男が福岡藩を継ぐことに不安を払拭できない長政は長 […]
2011年7月24日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento 古墳・弥生 漢委奴国王の金印 (57年) 秦の始皇帝が中国を統一したのが紀元前221年で、その「秦」は二代目で倒れ、項羽と覇を争った劉邦が「漢(前漢)」を興します。 漢は200年ほど続きますが、臣下の王莽が一時、政権を簒奪し国名を「新」とします。しかし「新」は人 […]
2011年7月23日 / 最終更新日時 : 2023年6月19日 kento 江戸 貝原益軒「筑前国続風土記」 (1703年) 1630年貝原益軒は福岡藩の藩医の子として生まれ、京都、長崎、江戸で見聞を広めます。 益軒は自分の目で見て考え納得したことを文章にする実証主義の人だったようで、「筑前国続風土記」を著すにあたって筑前各地へ自ら足を運び、史 […]
2011年7月16日 / 最終更新日時 : 2023年6月13日 kento 福岡史伝 岩門合戦-霜月騒動- (1285年) 「弘安の役」から3年後の1284年、北条時宗が病没すると鎌倉で御家人の安達泰盛と得宗家執事の平頼綱の確執が激しくなります。翌1285年11月、両者間で小競り合いが起きそれが戦いまでに発展します。そして安達泰盛が敗れると一 […]
2011年7月16日 / 最終更新日時 : 2023年6月22日 kento 幕末・維新 福岡の変 (1877年) 熊本、秋月、萩の乱が醒め遣らぬ1877年2月、薩摩の私学校生たちの暴発に引きずられる様に西郷隆盛が決起すると、福岡でも薩軍に呼応するため元福岡藩士の武部小四郎や越智彦四郎が準備を始めます。 そして薩軍の決起より約2ヵ月後 […]
2011年7月12日 / 最終更新日時 : 2023年9月9日 kento 幕末・維新 秋月の乱 (1876年) 1874年に江藤新平を中心として起こった「佐賀の乱」から2年後、1876年3月28日に廃刀令が発せられると、西日本各地の士族が募る不満を爆発させます。 10月24日には熊本で太田黒伴雄が率いる170名の士族(神風連)が乱 […]
2011年7月10日 / 最終更新日時 : 2023年6月12日 kento 福岡史伝 弘安の役 (1281年) 「文永の役」から6年後の1281年6月、元軍は二手に別れて侵攻してきました。東路軍は元、高麗の兵4万、江南軍は元に降伏した南宋の兵10万、総数14万の兵は「文永の役」の5倍に近い数です。 6月5日にまずは主力の東路軍が博 […]
2011年7月9日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento 福岡史伝 元弘の乱-博多- (1331年~1333年) 倒幕計画が漏れ後醍醐天皇が拘束されたことにより「元弘の乱」が起こります。通常は首謀者が拘束されると乱は収束するのですが、この時は、後醍醐天皇の親王や意を受けた武将が各地に立ちます。 これにより情勢が不安定になって来ると、 […]
2011年7月8日 / 最終更新日時 : 2023年6月18日 kento 戦国 黒田氏筑前入り (1600年) 福岡藩初代藩主、黒田長政の父、黒田如水は切れ者の野心家として知られ戦国の世に豊臣秀吉の参謀として歴史の表舞台に登場しますが、その秀吉自身も如水の智略、策謀には舌を巻いたといわれています。 九州平定後、秀吉は如水の功績に見 […]