2023年6月13日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 九州南北朝年表 (1336年~) 九州での南北朝の混乱は60年近く続きます。1392年に両朝が統一し、この戦乱は一旦収まるかに見えました。しかし、今川氏が九州を去った後には豊前、筑前へ大内氏が触手を伸ばします。このため騒乱は応仁の乱を経て戦国時代まで続き […]
2014年11月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 針磨原の戦い (1353年) 1353年1月22日、直冬が去り戦う名分を失くした少弐頼尚は大宰府の浦ノ城で九州探題・一色範氏の猛攻に晒されますが、そこに宿敵・菊池武光の南朝軍が援軍に現われたため窮地を脱します。この時に少弐頼尚は武光に感謝し「今より子 […]
2014年11月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 応仁の乱-筑前- (1467~1478年) 少弐氏と九州探題に命じられた渋川氏との反目に乗じて筑前に勢力を伸ばしていた大内氏は、1467年に「応仁の乱」が起こると兵を京都に向けます。 対馬に逃れていた少弐政資(この時点では頼忠)は対馬代官の宗氏の支援を受け筑前に上 […]
2014年11月9日 / 最終更新日時 : 2023年12月23日 kento 南北朝・室町 観応の擾乱-筑前- (1351年) 1349年、足利尊氏の右腕の高師直と、尊氏の弟・直義との確執で足利幕府は二派に割れます。長門探題を努める尊氏の庶子・直冬は叔父(義父)の直義に援軍するため軍を率い上京しようとしますが、実の父・尊氏より討伐命令が出たため、 […]
2014年11月8日 / 最終更新日時 : 2023年6月15日 kento 南北朝・室町 長者原の戦い (1362年) 鎌倉時代の鎮西探題に代わって設置された九州探題には足利一族の一色氏が就くのですが、「観応の擾乱」が起こると武家方はこの一色氏と筑前国守護の少弐氏の二派に別れ戦うことになります。この内訌が要因となり、武家方は劣勢となり一色 […]
2014年11月2日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 今川了俊の失脚 (1395年) 南北朝が統一(1392年)された三年後、第三代将軍の足利義満は、九州で勢力を伸ばす探題・今川了俊に危険性を覚え帰京の命を出します。目の上の瘤だった了俊の失脚劇に少弐、大友、島津ら九州の守護たちは大喜びし、特に「水島の変」 […]
2014年11月1日 / 最終更新日時 : 2023年6月17日 kento 南北朝・室町 福童原の戦い (1375年) 今川了俊に大宰府を攻略され、筑後の高良山に移った菊池氏はそこで抵抗を続けますが、不運なことに、翌年に菊池武光、翌々年には後を継いだ菊池武政が立て続けに没します。 1375年、武光の甥・菊池武安は現状を打開するため高良山を […]
2014年11月1日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 今川氏の九州攻略 (1372年) 1370年、九州に入ることも叶わなかった渋川義行に代わり九州探題に命じられた今川了俊は、九州攻略を三方面より進める策を取り、豊後に嫡男の今川貞臣を上陸させ高崎山城に籠城させます。また弟の今川仲秋を肥前へ上陸させ大宰府へ向 […]
2011年5月8日 / 最終更新日時 : 2023年6月15日 kento 南北朝・室町 筑後川の戦い (1359年) 「針磨原の戦い」から6年、京都で足利尊氏が没すると、勢いづいた南朝方とこれに抗する武家方(北朝方)が筑後川の北側で激突します。これが、地元では「大原合戦」と呼ばれる「筑後川の戦い」です。 この戦いは「関ヶ原の戦い」、「川 […]
2011年4月29日 / 最終更新日時 : 2023年6月13日 kento 南北朝・室町 多々良浜の戦い (1336年) 1335年12月後醍醐天皇に反旗をひるがえした足利尊氏は、新田義貞を破り翌1月には一旦、京に入りますが、北畠、新田、楠木軍に破れ、海路九州に落ち延びます。 そして翌月の2月20日頃に赤間関(下関)で少弐頼尚の出迎えを受け […]