水城東門跡

-太宰府市国分-       水城の東西端には門が設けられました。ここはその東門跡で、都から大宰府への玄関口でした。 大宰府に赴任する官人たちは、水城の門で出迎えを受け、また送り出されました。実際、寛弘2(1005)年に大宰大弐 [...]


特別史跡水城西門跡

-太宰府市吉松-       特別史跡水城跡の調査成果 ここは特別史跡水城跡の西門の跡です。水城は西暦六六四年に博多湾側から攻め入ることが予想された唐・新羅軍に備えて造られた防衛施設ですが、東と西に二つの門がありました。 平成 [...]


筑前国分寺

-太宰府市国分寺-       【史跡 筑前国分寺】 現在になお法灯を伝える筑前国分寺は、天平十三年(741)聖武天皇の勅願により、全国六十余国に造られた国分寺の一つである。 近年の発掘調査により、主要な建物の配置および規模もしだ [...]


国分尼寺跡

-太宰府市国分寺-   【国分尼寺跡】 天平13年(741)聖武天皇は鎮護国家、五穀豊穣を祈るため、諸国に国分寺、国分尼寺建立を命じた。尼寺は正式名称を「法華滅罪之寺」といい、尼僧10人と規定された。ここは筑前国の国分尼寺があった所と伝えられるが、今は [...]


国分瓦窯跡

-太宰府市国分寺-       【史跡 国分瓦窯跡】   大正十一年十月十二日指定 窯跡は、池の南斜面に三基以上があったことが知られる。大正十年に発掘調査され、八世紀、大宰府政庁・観世音寺・筑前国分寺などの瓦を焼いた窯であるこ [...]


観世音寺

-太宰府市観世音寺-       【観世音寺】 百済救援のため九州に下り、661年、朝倉橘広庭宮(福岡県朝倉郡)で亡くなった斉明天皇の菩提をとむらうため、天智天皇の発願によって建てられた寺。天平18年(746)完成、盛時、九州の [...]


戒壇院

-太宰府市観世音寺-       【戒壇院】 戒壇院は『天下の三戒壇』の一つとして天平宝字5年(761)、筑紫観世音寺境内の西南角に設置された。唐僧鑑真は5度渡航に失敗し、身は盲目となりながらわが国に戒律を伝え、天平勝宝6年(7 [...]


日吉神社

-太宰府市観世音寺-       【日吉神社】 観世音寺の鎮守であり、地元ではヒヨシ神社と呼ばれる。比叡山の日吉(ひえ)大社を分霊したもので、平安時代末には置かれていたらしい。江戸時代の地誌によると”豊臣秀吉が九州下向の折、この日 [...]


学校院跡

-太宰府市観世音寺-       【学校院跡】 学校院は、西国の役人を養成する機関である。大宰府政庁の東側にあるこの地区は、小字名を「学業」ということから、学校院があったと考えられている。 学校院では、博士を教官として、中国の「五 [...]


大宰府政庁跡

-太宰府市観世音寺-       【特別史跡 大宰府跡】 古くから都府楼の名で知られてきたこの地域は、日本書紀によれば、天智天皇二年(663年)、唐、新羅の連合軍と白村江において百済と共に戦って大敗した我が国が、大陸からの侵攻に備 [...]


榎社

-太宰府市朱雀-     【榎社】   菅原道真公は、太宰府に左遷されてから逝去されるまでこの地で謫居された。 毎年九月、菅公の御神霊はここに神幸され、一夜過ごされて翌日天満宮本殿に還御される。 榎社は、菅公を日夜お世話された浄妙 [...]


太宰府天満宮

-太宰府市宰府-     901年、菅原道真は政敵の藤原時平などの勢力よって大宰府に流され、その二年後に謫居(たっきょ)で亡くなります。遺骸は大宰府政庁東方の安楽寺に葬られ、919年その場所に社殿が建立されます。これが現在の太宰府天満宮となります。 ここに奉 [...]


延寿王院

-太宰府市宰府-     西鉄太宰府駅から天満宮の参道を進み突き当たるとそこに延寿王院があります。ここには幕末の「七卿落ち」の内、五卿が長州より移り3年ほど滞在しました。五卿滞在中には、土佐の中岡慎太郎、長州の高杉晋作、薩摩の西郷隆盛の他、維新の名だたる志士 [...]


如水の井戸

-太宰府天満宮内-       如水の井戸 福岡藩主黒田長政の父孝高(如水法号)は、天満宮を深く崇敬して、此処に草庵を建て、二年間隠棲の際使用した井戸です。   太宰府天満宮「如水の井戸」の案内板より  [...]


光明禅寺

-太宰府市宰府-     光明禅寺は1273年、鉄牛円心によって開山された臨済宗の禅寺です。枯山水の庭園があり秋になると美しい紅葉が広がり、多くの観光客の心を癒します。庭園にむした苔のため、別名「苔寺」とも呼ばれています。 鉄牛円心は円爾(えんに)の弟子 [...]


原八坊跡

-太宰府市連歌屋-       【原八坊跡】 原八坊は、正式には原山無量寺という寺で、平安時代に天台宗の智証大師円珍と8人の弟子たちが開いたと伝えられる。 原八坊跡は、足利尊氏が九州に落ちて来た時に、この一坊に入ったと伝えられ、 [...]


浦ノ城跡

-太宰府市連歌屋-       【浦ノ城跡】 筑前国の守護、少弐氏の居城と伝えられる。城の構えの詳細はわからないが、昭和44年、開発に伴う発掘調査で、御笠川と、コの字形の急峻な斜面をもつ丘陵とを巧みに利用して造られていたことが判明 [...]


岩屋城跡

-太宰府市観世音寺-     【岩屋城跡(本丸跡)】 岩屋城は永禄2年(1559)宝満城の支城として豊後大友氏の武将高橋鑑種によって築かれた 同12年彼は主家大友宗麟に叛き城を追われ 代わって吉弘鎮理(後の名将高橋紹運)が城主となった 紹運 [...]


月形洗蔵幽閉の地

-筑紫野市古賀-      【月形洗蔵幽閉の地の碑】 月形洗蔵は禄高百石の福岡藩士で天下にその名を知られて平野国臣らと共に明治維新の勤皇の志士である。 祖父質は儒学者として名をなし、父深蔵は辺防之策を著して海防の急であることを説いた憂国の [...]


柴田城址

-筑紫野市天山-     鎌倉時代末期~南北朝時代 応安5年(1372年)菊池武光らの砦か? 菊池武光 元応元年(1319年)?~応安6年(1373年12月29日)高良山攻防戦の最中死去 戦国時代(1467年~1584年)末期の1578は [...]


針摺石

-筑紫野市針摺-     針摺石 この針摺石には次のような伝説があり、地名の由来になっています。 その昔、太宰権帥として左遷されていた菅公(菅原道真)が、天拝山頂で身の潔白を訴えらりた帰り、この地をお通りになりました。 そして、老人が斧を [...]


般若寺跡の石造七重塔

-太宰府市朱雀-     般若寺跡の石造七重塔 般若寺は大化五年(六四九)筑紫大宰帥に任ぜられた蘇我日向が孝徳天皇の病気平癒のために建立したと伝えられるが、出土する瓦からは八世紀の奈良朝の建立であるといわれている。何れの時代に亡びたかは不 [...]