一夜漬 弥生・古墳

【弥生・古墳時代】-中国文献に記される奴国と三国朝鮮へ-
西暦57年、中国後漢の皇帝より奴国王に金印が送られますが、これが文献に残る初めての福岡に関する出来事です。
それから約200年後に書かれた三国志の「倭人の条」には邪馬台国への道筋が記載されその途中の国として伊都国(いとこく・糸島市)、奴国(なこく・福岡市)、不彌国(ふみこく) など福岡県内の都市が紹介されています。この三国志「倭人の条」は後世の日本人より「魏志倭人伝」と呼ばれ、邪馬台国所在地論争の元となりました。
西暦300年代前後には倭国は乱立する国々を帰属させ中央集権国家に移行しますが、奴国もこの中央集権の波に呑まれ、この頃に倭国の一都市になったものと思われます。
九州北部を吸収した倭国は、次に三国時代の朝鮮へ渡り新羅、百済の間の伽耶(かや・小国家が並立する地域-任那-)に駐屯します。
倭国軍は伽耶諸国や百済と連携し新羅や高句麗と戦いますが、西暦500年代に入った頃より倭国の朝鮮への影響力は徐々に弱まり、大伴金村が百済に「任那四県の割譲」(512年)を行い、また九州では朝鮮出兵の兵役負担の不満により磐井(いわい)が「磐井の乱」(528年)を起こします。そして新羅が伽耶諸国を併合した西暦500年代中頃までには朝鮮半島から撤退したものと思われます。

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