福岡城跡

-城内・舞鶴公園-        【三の丸(松ノ木坂)】 福岡城は初代福岡藩主・黒田長政が、慶長6年(1601年)から7年がかりで築城しました。ほぼ現在の舞鶴公園にあたる内郭は天守台、本丸、二の丸、三の丸の4層に分かれ、潮見櫓、多 [...]


鴻臚館跡

-中央区城内-      【鴻臚館跡】 鴻臚館はわが国の古代の外交施設で、平安京(京都)、難波(大阪)、筑紫(福岡)の3ヵ所に置かれていましたが、現在その場所が確かめられ、遺跡として残っているのはここ筑紫の鴻臚館だけです。1987年(昭和62 [...]


母里太兵衛像

-光雲神社内-        【母里但馬守太兵衛友信像】 黒田二十五騎の一人で智勇兼備の武将で、主君長政公の命を受けて、福島正則公に使いした時禁酒の太兵衛が、なみなみと注がれた大盃の酒を、自若として飲み干し、太閤秀吉より拝領の福島 [...]


平野国臣像

-中央区西公園内-       【平野二郎國臣の銅像】 (1828年~1864年) (幕末期に討幕・国家統一を主唱) 現在の今川一丁目生まれ。26歳の時、江戸湾奥まで侵入した重装備の黒船8隻を目の当たりにして、当時の日本にこれを [...]


加藤司書 歌碑

-中央区西公園内-      【加藤司書 歌碑】                (1828年~1865年) 福岡藩の家老職で勤王派。ロシア船が開国を求め長崎に来航した時には、500余人の藩兵を指揮し艦隊を穏便に退去させました。また、長州 [...]


平尾山荘

-平尾山荘公園-        【野村望東尼】 歌人野村望東尼(俗名モト)が、夫と一緒に世間から離れ、ひっそりと暮らした山荘。安政6年(1859年)、54歳のときに夫を亡くしたモトは尼となり、この頃から大政奉還や討幕運動に沸く幕末 [...]


西学問所(甘棠館)跡

-中央区唐人町-       【西学問所(甘棠館)跡】 天明4年(1784年)に福岡藩が藩士教育のため設けた藩校西学問所、別称甘棠館の跡です。徂徠古学派の儒者亀井南冥が館長となり、学生の自主的な学習を尊重する校風の下に江上苓州・原 [...]


東学問所(修猷館)跡

-中央区赤坂-       【東学問所跡】 福岡藩が天明4年(1784)藩の子弟教育のため設けた二つの藩校東学問所(修猷館)及び西学問所(甘棠館)のうちのひとつである東学問所(修猷館)の跡である。ここでは、貝原益軒の流れを汲む竹田 [...]


貝原益軒 屋敷跡

-中央区荒戸-       【貝原益軒 屋敷跡】 貝原益軒は、藩医貝原寛斎の五男として城内で生まれ、幼い時から神童といわれ、19歳で福岡藩2代藩主黒田忠之の納戸役として出仕しました。その後、27歳の頃に3代藩主黒田光之に、その才能 [...]