一夜漬 平安
【平安時代】-菅原道真左遷と藤原純友の乱-
901年、藤原時平等の画策により菅原道真が大宰府に左遷されます。そして二年後に多くの漢詩を残した謫居(たっきょ・配流先の住居のこと)で病没します。遺体は大宰府東方の安楽寺に埋葬されますが、後にその地に社殿が建立されます。これが太宰府天満宮の起源になります。
そして菅原道真の左遷から四十年後に「藤原純友の乱」が起こります。伊予の本拠地を朝廷軍により攻略された純友は海路で筑紫に逃れ大宰府や観世音寺で略奪行為を行います。これに対し朝廷は小野好古(おののよしふる)、大蔵春実(おおくらはるざね)等を派遣します。乱は程なく鎮圧され大蔵春実は大宰府の要職に就き、子孫は大宰府南方の原田(はるだ)に住み原田氏を名乗り、平安時代の後半はこの原田氏が筑紫の治安を司る職を担います。しかし原田氏は平安末期に京都を追われた平家を助け、平家が壇ノ浦に破れ滅亡すると領地を没収されます。
この他、平安時代には新羅海賊や刀伊(とい)の入寇があり被害を受けます。特に1019年の「刀伊の入寇」は藤原隆家の率いる軍が撃退したもの、対馬、壱岐、博多湾周辺で500人近い死者を出し1000人以上が連れ去られています。