野村望東尼(のむらもとに)

【1806年~1867年】 幕末の混乱期に、僧・月照や高杉晋作を自邸に匿います。乙丑の獄(いっちゅうのごく)では糸島半島の西約4キロの「姫島」に流されますが、 高杉晋作の意を受けた福岡脱藩の志士の手で「姫島」を脱出し下関へ逃れます。 [...]


黒田長溥(くろだながひろ)

【1811年~1887年】 島津藩主の重豪(しげひで)の十三男で、黒田家に養子として入ります。 開明的な藩主で蘭学を取り入れ中洲には反射炉を建設するなどしています。 しかし1865年の「乙丑の獄」で筑前勤王党の弾圧を行い勤皇派を一掃します。 弾圧の原因はハッキリしていないのです [...]


月照(げっしょう)

【1813年~1858年】 「安政の大獄」で幕府より追われる月照は西郷隆盛と共に薩摩に逃れようとします。 そして下関で西郷と別れた月照は筑前で野村望東尼の「平尾山荘」や太宰府の宿屋「松屋」に匿われます。 その後、平野國臣の案内を得て薩摩に入り西郷と再会しますが、 薩摩藩は月照の [...]


真木和泉(まきいずみ)

【1813年~1864年】 久留米藩の尊皇攘夷の志士で攘夷派の公卿に強い影響力を持ちますが、 「八月十八日の政変」で長州藩が京都を追われると長州派の七卿に下関まで同行します(「七卿落ち」)。 そして翌年には長州軍の一部隊として「禁門の変」に参戦しますが、 戦況が不利になると天王 [...]


平野國臣(ひらのくにおみ)

【1828年~1864年】 朝廷や長州藩、薩摩藩に広い人脈を持った名の知れた倒幕勤皇の志士で、のちに「寺田屋事件」「生野の変」に関わります。 「禁門の変」の時に捕らわれていた京都六角獄で斬首され36年間の人生を終えてます。 [...]


月形洗蔵(つきがたせんぞう)

【1828年~1865年】 儒学者の家に育ち、王政復古の思想を掲げ参勤交代の不要を藩主黒田長溥に建白しますが、これが長溥の怒りを買い蟄居させられます。しかし三条実美ら五卿福岡遷座の際には罪を許され、 下関まで五卿を出迎えに行くことを命じられています。 五卿は月形ら筑前勤皇党の説 [...]


篠原泰之進(しのはらたいのしん)

【1828年~1911年】 筑後浮羽の出身で関東で攘夷活動に走ります。その後、伊東甲子太郎に従い京都にて新選組に加入しますが、2年と数ヶ月後には伊東ら同士と共に御陵衛士(ごりょうえじ)を創設し新選組より離脱します。新選組はこの行動を表向きには了承しますが、脱隊を原則違反とする新 [...]


加藤司書(かとうししょ)

【1830年~1865年】 西洋諸国の介入を招く恐れのある国内対立を早期に収束させるため、 西郷隆盛と共に第一回長州征討軍解兵に尽力します。しかし一年後には藩内・佐幕派の台頭で「乙丑の獄」が起こり、 博多の天福寺で切腹することになります。 ちなみに福岡藩と土佐藩の成り立ちは「関 [...]


高場乱(たかばおさむ)

【1831年~1891年】 男子として育てられた男装の女医で、かつ教育者。金印の鑑定をした亀井南冥の学派の塾に学び、後に興志塾を起します。 「福岡の変」には塾生から多く者が参加しています。そして1889年に教え子の来島恒喜(くるしまつねき)が大隈重信暗殺未遂事件をおこし自決する [...]


早川勇(はやかわいさむ)

【1832年~1899年】 月形洗蔵と共に五卿の太宰府入りを実現し、薩摩と長州の仲を取持つため奔走します。 そして同じ大庄屋の出の中岡慎太郎とは強いつながりを持ち、西郷隆盛との会談を取持っています。このような勇らの地道な努力が後の薩長同盟へつながってゆくのです。 勤皇党弾圧の「 [...]


古屋佐久左衛門(ふるやさくざえもん)

【1833年~1869年】 筑後古飯(ふるえ)の庄屋の生まれで医学を志し大阪に出ますが、医学が性に合わない事を悟り、江戸に向かい英語や洋学を学び、洋学書の翻訳などを手がけます。また婿養子で古屋家を継ぎ幕臣となります。戊辰戦争では坂本龍馬を斬ったとされる今井信郎(のぶお)と共に衝 [...]


宮崎車之助(みやざきしゃのすけ)

【1835年~1876年】 「秋月の乱」の中心的な人物ですが決起には消極的だったようです。豊津藩の反政府勢力と合流するため豊津に向いますが、 そこで乃木希典の指揮する小倉の歩兵第14連隊の攻撃を受け撤退します。そして決起より4日後には乱の中心となった人物6名と共に自刃することに [...]


坂本龍馬(さかもとりょうま)

【1836年~1867年】 勝海舟が失脚し、1865年 神戸海軍操練所が閉鎖されると、龍馬は一旦、鹿児島に身を寄せます。 そして5月には太宰府を訪れ五卿と面談します。この時に五卿の一人、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)は龍馬の印象を 「偉人なり、奇説家なり」と評しています。龍馬 [...]


三条実美(さんじょうさねとみ)

【1837年~1891年】 長州派の公卿で「八月十八日の政変」で長州に逃れた七卿の内の一人でその中心人物です。 第一次長州征討で長州藩は幕府に屈したため、太宰府の延寿王院に移りますが、約三年を経て大政奉還後の京都に戻り新政府の要職を務めます。 その後、征韓論問題の心労で休養する [...]


中岡慎太郎(なかおかしんたろう)

【1838年~1867年】 土佐の志士で五卿に随い太宰府に入り、五卿の衛士として仕えながら薩長同盟を画策します。 そして1864年から約3年間、太宰府、長州、京都間を忙しく行き来し、 薩長の有力者や土佐の同士たちと面談、坂本龍馬と共に薩長同盟を実現させます。 しかし大政奉還から [...]


グラバー(ぐらばー)

【1838年~1911年】 イギリス商人で倒幕派に武器の販売なども行いますが、維新後は自分の会社の倒産を経験します。基本的に日本は好きだった様で、日本人女性と結婚し日本で終焉を迎えます。このグラバー氏、太宰府天満宮を数回訪れてその度に「麒麟像」を長い間、眺めていたという話が伝わ [...]


高杉晋作(たかすぎしんさく)

【1839年~1867年】 長州藩士で吉田松陰の松下村塾に学び、幕府に抵抗するため奇兵隊を創設した人物です。幕府の第一回長州征討後は、 長州藩保守派から逃れるため太宰府五条の酒蔵「中村酒屋」や野村望東尼の「平尾山荘」に匿われています。 のちに筑前勤皇党弾圧の「乙丑の獄」で島流し [...]