2018年11月25日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 薩摩街道 松崎宿「油屋」 数ヶ月前の事になりますが、西郷隆盛の泊まったといわれる小郡市松崎の「油屋」の撮影に行って来ました。残念ながら史跡「油屋」は建替中で足場が組んであり見学する事はできませんでしたが、玄関の撮影だけはどうにか叶いました。 薩摩 […]
2018年10月9日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 マルちゃん訪問 先日、テレビで有名になった嘉麻市・前田酒店の店番犬・マルちゃんに会いに行ってきました。 中に入ると、マルちゃんは店内の片隅でお昼寝中。 見知らぬ来客に気がついたマルちゃん、戸惑い気味でおかあさんの顔をチラチラ確認、危ない […]
2018年9月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 余談 筑紫とは? 益軒は筑前国続風土記の冒頭で、筑紫について言及しています。 「此國を筑紫と名付し事、古は筑前筑後一国にして、是を筑紫といへり。故に日本紀等の古書に、筑紫といへるは、多くは筑前筑後をさせり。又九國をすべて筑紫と称し、或九州 […]
2018年5月7日 / 最終更新日時 : 2023年8月15日 kento 奈良 宇佐八幡宮神託事件 (769年) 宇佐八幡宮神託事件は「続日本記(しょくにほんぎ)」に書かれている出来事です。その記事は769年、称徳天皇の怒りの詔(みことのり)から唐突に始まります。 「臣下というものは、君主に従い清く貞しい明るい心をもって助け守り、無 […]
2018年4月7日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 親不孝通りの史跡 先日久振りに所用で天神に出たので、ついでに親不孝通りに足を伸ばしました。 「親不孝通り」は随分以前に「親富考通り」に名称変更されたのですが、噂どおり「親不孝通り」の呼称に戻された様です。 ところでこの親不孝通りは中洲に匹 […]
2018年3月5日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 五郎山と天山と宝満山 福岡県筑紫野市にある歴史にまつわる三つ山を撮影しました。(北に向かって撮影しています) 手前が五郎山古墳がある原田・五郎山。五郎山古墳は終戦から2年後に発見された6世紀後半の古墳とされ内部では壁画が発見されています。現在 […]
2017年11月18日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 人参が嫌いな子は読むべからず 益軒は養生訓・巻第三の末にこう書いています。 「心口にかなわざる物、食うべからず」 講談社学術文庫「養生訓」の訳者・伊藤友信氏は「心口にかなわざる物」を「口に合わず気に入らないもの」と訳しています。早く言えば益軒は「嫌い […]
2017年8月17日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 宝石で雀を撃つが如し 益軒は「養生訓」で次の通り語っています。 「宝石を礫(つぶて・石ころ)として雀を撃たば、愚なりとて、人必ず笑はん。・・・中略・・・かろき小なる欲を貪りて身を損なうは、軽重を知らずというべし。」 これは欲に任せて酒色を貪る […]
2017年1月26日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 咎むべからず。憂うべからず。 貝原益軒は著書「養生訓」に次のような事を記述しています。 「世の中の人の行動が、自分の意にそわなくても、『人とはそんなものだ』と考えて、人の悪いところは、なだめ、許して、咎めてはいけない。そして怒ったり、恨んでもいけない […]
2016年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 酒食を過すは腹中を戦場となすが如し 胃腸を酷使する時期も山場を迎え、正月明けには胃腸薬のお世話になる人も多いのかもしれません。 ところで、貝原益軒の「養生訓」には過酒食について次の通り書かれています。 「酒食を過ぎると、強い薬を用いなければ消化できない。こ […]
2016年12月25日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 養生訓 「怒」と「欲」について 貝原益軒は著書「養生訓」で怒りと欲について次のような事を語っています。 「怒と欲との二つ、最も徳を破り生を失う。怒りを懲らし、欲を塞ぐは易の戒めなり。怒りは火が燃ゆるが如し。人の心を乱し、元気を損なうは怒りなり。抑えて忍 […]
2016年12月14日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 日本人は勝負事が好き? このところIR(Integrated Resort、統合型リゾート)法案で国会が騒がしくなっているようですが、観光客が増え、雇用が増え、税収が増えるのであれば悪くはないのではと、安易ではありますがそう思ってしまいます。外 […]
2016年11月30日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 酔っぱらいは芸術家? またまた飲酒の話になりますが、貝原益軒は「養生訓」に多飲の戒めとして次の通り記しています。 「生来謹厳な人も多く飲めば、欲深くなってみぐるしく、平常心を失い乱れてしまう。言行ともども狂ったようで、日頃とは似ても似つかぬも […]
2016年11月25日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 余談 歴史語呂合わせ 中学時代、秀才と言われる学友は受験前になるとこの歴史語呂合わせを日常会話の中で披露して人を笑わせていましたが、勉強嫌いな私はほとんど興味をそそられる事はありませんでした。 高校受験には間に合いませんでしたが、最近、多少興 […]
2016年11月13日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 福岡市博物館「滇王之印」複製品 福岡市博物館には、「漢委奴国王」印と同じ蛇鈕(蛇を象った取っ手)を持つ金印「滇王之印(てんおうのいん)」の複製が展示されています。 この金印は1957年に中国雲南省石塞山第6号墓で発見された金印で、次のような説明がされて […]
2016年8月5日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 酒は天の美禄なり 貝原益軒は養生訓で「飲酒」について次のように語っています。 「酒は天の美禄である。少量の飲酒であれば陽気になり血行も良くなり、食欲も出て、愁いを忘れ、やる気が起こり、たいへん利益がある。ただし多量に飲むと人を害する事、酒 […]
2016年6月19日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 ただいま禁煙中・・・ 禁煙するのは簡単ですが、タバコを止めるのは難しい・・・。 禁煙すること数十回、最高2年間やめましたが、ストレスでここ1年間喫煙中でした。 ところで江戸時代の儒学者・貝原益軒はタバコについて名著・養生訓で次の通り触れていま […]
2015年10月14日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 余談 なぬ~大宰府政庁跡でももクロがLIVE!? 2015年10月31日(土)、ももいろクローバーZが大宰府政庁跡でLIVE!?。なんと素晴しいアンマッチ。後片付けさえ問題なければ、斬新な企画。発案者は現代の平賀源内に違いない。ももクロファンにも福岡の歴史に興味をもって […]
2015年9月6日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 奈良時代の筑後・肥後の農民たちの事 奈良時代に筑後・肥後で農政改革を行った道君首名(みちのきみおびとな)の功績は間違いなく褒め称えられるべきものなのでしょうが、その功績は農民たちの協力なくしてはなし得なかったのかもしれません。 どんな経緯があろうとも認める […]
2015年9月6日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 有馬記念の由来 余談ですが、競馬のオールスター戦で、かつ一年を締め括るGⅠ(グレード1)レースの「有馬記念」は中央競馬会理事長だった有馬家15代頭主、有馬頼寧(よりやす)氏により提唱開設されたレースです。競馬に興味のない方のために説明す […]
2015年9月6日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 「黒田節」像の余談 余談になりますが、以前、酒の席で「九州の男はよく酒を飲むなあ」と東京や大阪の先輩方から度々お褒めいただいた事がありますが、どうもこのイメージを植えつけた一因が「黒田節」のようで、「福岡は黒田節だもんな~、よく呑むはずだよ […]
2015年9月6日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 戒壇石の事 戒壇院の門の傍らにある石柱には、「不許葷酒肉入境内」と彫ってあります。 おそらく「境内に葷、酒、肉を入るを許さず」といった内容で当時の戒律の厳しさが偲ばれます。 「葷酒肉」の「葷」は最初「軍」の事かと勘違いして恥ずかしい […]
2015年8月1日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 余談 浅野四郎左衛門の事 先日、「お綱門の事」の記事を書いていて思った事です。 事件後にお綱の夫・浅野四郎左衛門には陰に陽に批判が殺到し著しく藩内での立場を悪くしたのではないかと想像され、名前も知らぬ様な他の藩士から冷たい視線で睨まれたり、身に覚 […]
2015年3月25日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento 福岡史伝 源平合戦後の九州 (1185年~) 「壇ノ浦の戦い」で平家が滅亡すると、平家方の武将であった原田種直は領地を没収され鎌倉で囚われの身となります。 そして九州には源頼朝が武藤資頼(すけより)、大友能直(よしなお)、島津忠久(ただひさ)を派遣し、武藤氏は九州北 […]
2015年1月17日 / 最終更新日時 : 2023年6月11日 kento 奈良 道君首人の農政改革 (713年) 若き頃に法律を学び官僚としても優秀だった道君首名(みちのきみおびとな)は53歳の頃に筑後守として赴任します。年齢からして第一線を退き、引退までの繋ぎの赴任だったのかもしれませんが、首名は筑後で果物や野菜の栽培、畜産を促進 […]
2014年12月14日 / 最終更新日時 : 2023年6月11日 kento 福岡史伝 防人と烽の設置 (663年) 663年、新羅・唐の連合軍の九州上陸を想定し、対馬、壱岐、筑紫に防人(さきもり)と烽(すすみ)を設置します。防人とは筑紫の守備のために全国より派遣された兵士で、烽とは敵の動向を知らせる狼煙台のことになります。 百済を制し […]
2014年11月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 針磨原の戦い (1353年) 1353年1月22日、直冬が去り戦う名分を失くした少弐頼尚は大宰府の浦ノ城で九州探題・一色範氏の猛攻に晒されますが、そこに宿敵・菊池武光の南朝軍が援軍に現われたため窮地を脱します。この時に少弐頼尚は武光に感謝し「今より子 […]
2014年11月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 応仁の乱-筑前- (1467~1478年) 少弐氏と九州探題に命じられた渋川氏との反目に乗じて筑前に勢力を伸ばしていた大内氏は、1467年に「応仁の乱」が起こると兵を京都に向けます。 対馬に逃れていた少弐政資(この時点では頼忠)は対馬代官の宗氏の支援を受け筑前に上 […]
2014年11月9日 / 最終更新日時 : 2023年12月23日 kento 南北朝・室町 観応の擾乱-筑前- (1351年) 1349年、足利尊氏の右腕の高師直と、尊氏の弟・直義との確執で足利幕府は二派に割れます。長門探題を努める尊氏の庶子・直冬は叔父(義父)の直義に援軍するため軍を率い上京しようとしますが、実の父・尊氏より討伐命令が出たため、 […]
2014年11月8日 / 最終更新日時 : 2023年6月15日 kento 南北朝・室町 長者原の戦い (1362年) 鎌倉時代の鎮西探題に代わって設置された九州探題には足利一族の一色氏が就くのですが、「観応の擾乱」が起こると武家方はこの一色氏と筑前国守護の少弐氏の二派に別れ戦うことになります。この内訌が要因となり、武家方は劣勢となり一色 […]