如水・殉死の禁止

「人を殺すと言ふは容易ならざることなり」
如水は戦場以外では敵でも配下の者でも、その命を奪うことをたいへん嫌ったと言われます。 「配下の者を手打ちにするなどは短慮の至り」と言い切り、部下を手に掛けることは生涯一度もなかった様です。

1604年、死期を悟った如水は京都藩邸の病床に長政を呼び殉死の禁止を徹底するように命じます。 人の命の重さ知り、また無駄な事を好まなかった如水の性格が良く理解できる話です。 ちなみに日本で始めて殉死を禁止したのは記録上では垂仁天皇のようです。 天皇は「古(いにしえ)の風であるといっても、良くないことには従わなくてよい」 と言って、部下に諮(はか)って皇后の葬には殉葬を止めさせ、代わりに埴輪を埋めたと日本書紀で伝えられています。
如水も「忠義であるといっても、無駄な事には付き合わなくてもよい」と思っていたのかもしれません。

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