2014年4月6日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 号・如水の意味 豊前で抵抗をする武将・城井鎮房(きいしげふさ)を中津城で謀殺した翌年、官兵衛は家督を長政に譲り如水を名乗ります。不本意な方法で事を終結させた官兵衛はこの辺りが自分の引き際と考え隠居を望んだのかもしれません。 号「如水」の […]
2014年3月21日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 孫子の兵法の事 「孫子」は中国の春秋時代末(今から2500年ほど前)に孫武によって書かれたと言われる兵法書ですが、日本でも古くから軍事を学ぶテキストとして多くの人が通読していたようです。当然、黒田官兵衛や竹中半兵衛も若き頃にこの兵法書を […]
2014年2月22日 / 最終更新日時 : 2023年10月22日 kento 余談 半兵衛と官兵衛 竹中半兵衛との接点は官兵衛が信長に謁見した1575年頃から1578年に有岡城で荒木村重に拘束されるまでの約2~3年の僅かな期間です。 この二人は秀吉の元で同じ参謀として働くのですが、性格はまったく対照的なものだったようで […]
2014年1月3日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 棟上げの菓子袋の思い出 以前は棟上げといって新築家屋の骨組みが出来上がると、餅を撒いたり近隣の子供たちに菓子の詰まった袋を振る舞ったりする風習がありました。 今でもこの様な習慣の残る地域もあると思うのですが、 私も数十年前の小学6年の頃にこの棟 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 正室・光の読みは? 官兵衛は生涯を通して側室を置かなかったようですが、これは一時信仰したカトリック教の影響を受けたからなのか、それとも正室・光との 心の繋がりが強かったからなのかよく分かっていません。 ところで正室・光は最近まで「てる」と呼 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 光雲神社 光雲神社(てるもじんじゃ)には藩祖・黒田如水公と初代藩主・黒田長政公が祀られてます。 この地には以前、徳川家康を祀る東照宮がありましたが、維新で幕府が倒れた後は新政府への配慮からか廃れたようです。 そして1909年に天神 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月24日 kento 余談 如水・殉死の禁止 「人を殺すと言ふは容易ならざることなり」 如水は戦場以外では敵でも配下の者でも、その命を奪うことをたいへん嫌ったと言われます。 「配下の者を手打ちにするなどは短慮の至り」と言い切り、部下を手に掛けることは生涯一度もなかっ […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 如水の隠居生活 1589年、官兵衛は如水と名乗り長政に家督を譲り隠居しようとしますが秀吉に許されず、 実際に隠居生活に入るのは12年後の「関ヶ原の戦い」の翌年でした。 隠居した如水は太宰府に庵を結び和歌・連歌を楽しんだと言われます。 如 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月24日 kento 余談 如水の気配り 天才肌の人は気配りをしないといったイメージが個人的には強いのですが、如水は気配りにおいても一流の人だったようです。 部下がなにか失敗をしでかすとしこたま叱りつけはするものの、その場で簡単な用事を言いつけ主従関係が壊れてい […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 官兵衛と立花宗茂 官兵衛と立花宗茂の二人には大きな接点が三度あります。 先ずは1586年に「岩屋城の戦い」で父・高橋紹運を討たれた宗茂が立花城に籠城し、九州制覇目前の島津軍を迎え撃った時の事です。 秀吉に九州の島津攻略を命じられた官兵衛は […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 官兵衛の兜 如水が一番大事にした兜 -銀白壇塗合子形兜(ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと)- は何故か現在、 岩手県盛岡市に存在していますが、その経緯は次の通りです。 兜は正室・光の実家の櫛橋家より光との婚儀の前年に送られたもので […]
2013年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 官兵衛的な人たち えらく豪胆な人、すごく気配りのできる人、運動神経が超人的な人、仕事が超速い人、信じられないぐらいな美形な人。 永年 社会で仕事をしていると色んな面で優れた人とめぐり合うもので、私も「この人なんでこんな頭ええんやろ」 と感 […]