正室・光の読みは?

官兵衛は生涯を通して側室を置かなかったようですが、これは一時信仰したカトリック教の影響を受けたからなのか、それとも正室・光との 心の繋がりが強かったからなのかよく分かっていません。
ところで正室・光は最近まで「てる」と呼ぶのが通説だったようですが、つい最近 福岡市の圓應寺(開基・光姫)から「光」に「みつ」とルビが振られた過去帳附録の略伝が見つかり、 こちらの読み方が有力視されているようです。 「軍師黒田官兵衛その戦略と生涯」(別冊宝島)にはこのルビに関して 「法要の際に読み間違えがないようにと17世紀ごろの住職が書き置いたもの・・・」と説明されています。

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