2024年9月22日 / 最終更新日時 : 2024年9月24日 kento 余談 第三の金印 『親魏倭王印はどこにある?』の記事で「倭国が受けた金印はこの『親魏倭王』印と後漢の時代に送られた『漢委奴國王』印の二つだけ」と記載しましたが、『明史』には室町時代の1403年にもう一つの金印が送られたことが記載されていま […]
2023年6月4日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento Fアイテム 「漢委奴国王」印は本物? (1784年) -なぬ~金印には贋物説があった?- 江戸時代に志賀島から発見された「漢委奴国王」印には、意外にも当時より贋物説があったという事です。1700年を経て無傷で発見された奇跡に、疑問の声を上げる人々があっても仕方のない事なのか […]
2023年5月27日 / 最終更新日時 : 2023年7月30日 kento 福岡人物伝 亀井南冥(かめいなんめい) 【1743年~1814年】 大阪で儒学や医学を学び1785年に福岡藩西学問所・甘棠館(かんとうかん)の館長となります。 この頃に志賀島で発見された金印を漢の光武帝より奴国王へ送られた「漢委奴国王印」と鑑定します。 これが […]
2023年5月14日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 福岡人物伝 大夫(たゆう) 【西暦57年頃(弥生時代)】 西暦57年、奴国王の命により後漢に派遣され金印を持ち帰った人物です。中国・南北朝時代の432年頃に記された「後漢書」には「倭の奴国、貢物を奉って朝貢す。使者は大夫と自称す。」とのみ記載されて […]
2023年5月14日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 福岡人物伝 奴国王(なこくおう) 【西暦57年頃(弥生時代)】 倭国の最南端にあった国の王で、西暦57年に「大夫(だゆう)」という役職の使者を後漢に派遣します。 これに対し当時の皇帝であった光武帝は金印を送りますが、これが江戸時代に志賀島の田地より掘り出 […]
2023年5月8日 / 最終更新日時 : 2023年8月21日 kento それってホント? 漢委奴国王印の鈕は駱駝? (57年) -金印の取っ手は蛇ではなかった- 金印「漢委奴国王」の鈕(ちゅう・印のつまみの部分)は駱駝(らくだ)を蛇に改造したものではないかという説があるようです。言われてみれば蛇というよりは駱駝に近い様な気がしないでもありません。 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento わかっていない事 親魏倭王印はどこにある? -もう一つの金印が発見されれば!!- 西暦238年、魏の曹叡(曹操の孫)は朝貢した倭王の卑弥呼に対し「親魏倭王」の称号を与え金印を授けます。中国の史書では倭国が受けた金印はこの「親魏倭王」印と後漢の時代に送られた「漢委奴 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月23日 kento わかっていない事 「漢委奴国王」の読み方は? -「倭」は「委」から生まれた新漢字?- 金印「漢委奴国王」の読み方は「漢の倭の奴の国王」という読み方が通説となっているようで、高校の授業でもそう教えられた記憶があります。また福岡市博物館のサイトにも「王朝名(漢)の次に民 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento わかっていない事 金印の「委」は「倭」の略字? -委字は倭字を略したる者と相見えん!?- 「委字は倭字を略したる者と相見えん」これは亀井南冥の金印鑑定書に書かれる言葉になります。『「漢委奴国王」印の「委」という文字は「倭」の人偏を略したものと思われる』といった意味にな […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento わかっていない事 金印はなぜ志賀島で…?その弐 -大夫の思惑は?- 「金印はなぜ志賀島で発見された?」で金印が志賀島で発見された理由を「金印の刻印が奴国王にとって都合の良くないものだったため」と記述しましたが、抽象的な疑問には幾通りもの説があって良いと思いますので、も […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2025年4月5日 kento わかっていない事 金印はなぜ志賀島で発見された? -奴国王の思惑は?- 江戸時代より金印には贋物説があるのですが、その説の根拠の一つに奴国の中心地から遠く離れた志賀島から見つかった不自然さが挙げられています。確かに漢の皇帝より奴国王に送られた金印が、奴国の勢力範囲だった […]
2016年11月13日 / 最終更新日時 : 2023年5月27日 kento 余談 福岡市博物館「滇王之印」複製品 福岡市博物館には、「漢委奴国王」印と同じ蛇鈕(蛇を象った取っ手)を持つ金印「滇王之印(てんおうのいん)」の複製が展示されています。 この金印は1957年に中国雲南省石塞山第6号墓で発見された金印で、次のような説明がされて […]
2014年4月6日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 号・如水の意味 豊前で抵抗をする武将・城井鎮房(きいしげふさ)を中津城で謀殺した翌年、官兵衛は家督を長政に譲り如水を名乗ります。不本意な方法で事を終結させた官兵衛はこの辺りが自分の引き際と考え隠居を望んだのかもしれません。 号「如水」の […]
2014年3月21日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 孫子の兵法の事 「孫子」は中国の春秋時代末(今から2500年ほど前)に孫武によって書かれたと言われる兵法書ですが、日本でも古くから軍事を学ぶテキストとして多くの人が通読していたようです。当然、黒田官兵衛や竹中半兵衛も若き頃にこの兵法書を […]
2014年2月22日 / 最終更新日時 : 2023年10月22日 kento 余談 半兵衛と官兵衛 竹中半兵衛との接点は官兵衛が信長に謁見した1575年頃から1578年に有岡城で荒木村重に拘束されるまでの約2~3年の僅かな期間です。 この二人は秀吉の元で同じ参謀として働くのですが、性格はまったく対照的なものだったようで […]
2014年1月3日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 棟上げの菓子袋の思い出 以前は棟上げといって新築家屋の骨組みが出来上がると、餅を撒いたり近隣の子供たちに菓子の詰まった袋を振る舞ったりする風習がありました。 今でもこの様な習慣の残る地域もあると思うのですが、 私も数十年前の小学6年の頃にこの棟 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 正室・光の読みは? 官兵衛は生涯を通して側室を置かなかったようですが、これは一時信仰したカトリック教の影響を受けたからなのか、それとも正室・光との 心の繋がりが強かったからなのかよく分かっていません。 ところで正室・光は最近まで「てる」と呼 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 光雲神社 光雲神社(てるもじんじゃ)には藩祖・黒田如水公と初代藩主・黒田長政公が祀られてます。 この地には以前、徳川家康を祀る東照宮がありましたが、維新で幕府が倒れた後は新政府への配慮からか廃れたようです。 そして1909年に天神 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月24日 kento 余談 如水・殉死の禁止 「人を殺すと言ふは容易ならざることなり」 如水は戦場以外では敵でも配下の者でも、その命を奪うことをたいへん嫌ったと言われます。 「配下の者を手打ちにするなどは短慮の至り」と言い切り、部下を手に掛けることは生涯一度もなかっ […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 如水の隠居生活 1589年、官兵衛は如水と名乗り長政に家督を譲り隠居しようとしますが秀吉に許されず、 実際に隠居生活に入るのは12年後の「関ヶ原の戦い」の翌年でした。 隠居した如水は太宰府に庵を結び和歌・連歌を楽しんだと言われます。 如 […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月24日 kento 余談 如水の気配り 天才肌の人は気配りをしないといったイメージが個人的には強いのですが、如水は気配りにおいても一流の人だったようです。 部下がなにか失敗をしでかすとしこたま叱りつけはするものの、その場で簡単な用事を言いつけ主従関係が壊れてい […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 官兵衛と立花宗茂 官兵衛と立花宗茂の二人には大きな接点が三度あります。 先ずは1586年に「岩屋城の戦い」で父・高橋紹運を討たれた宗茂が立花城に籠城し、九州制覇目前の島津軍を迎え撃った時の事です。 秀吉に九州の島津攻略を命じられた官兵衛は […]
2013年12月31日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 官兵衛の兜 如水が一番大事にした兜 -銀白壇塗合子形兜(ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと)- は何故か現在、 岩手県盛岡市に存在していますが、その経緯は次の通りです。 兜は正室・光の実家の櫛橋家より光との婚儀の前年に送られたもので […]
2013年11月3日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 余談 官兵衛的な人たち えらく豪胆な人、すごく気配りのできる人、運動神経が超人的な人、仕事が超速い人、信じられないぐらいな美形な人。 永年 社会で仕事をしていると色んな面で優れた人とめぐり合うもので、私も「この人なんでこんな頭ええんやろ」 と感 […]
2011年7月24日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento 古墳・弥生 漢委奴国王の金印 (57年) 秦の始皇帝が中国を統一したのが紀元前221年で、その「秦」は二代目で倒れ、項羽と覇を争った劉邦が「漢(前漢)」を興します。 漢は200年ほど続きますが、臣下の王莽が一時、政権を簒奪し国名を「新」とします。しかし「新」は人 […]
2011年4月29日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 江戸 金印発見 (1784年) 福岡の志賀島は神奈川の江ノ島と同じ「陸繋島(りくけいとう)-砂州で本土とつながる島-」で夏になると大勢の海水浴客で賑わいます。 1784年、金印はこの島の南端、叶の崎で小作人の秀治と喜平によって田んぼの中から発見されます […]