号・如水の意味

豊前で抵抗をする武将・城井鎮房(きいしげふさ)を中津城で謀殺した翌年、官兵衛は家督を長政に譲り如水を名乗ります。不本意な方法で事を終結させた官兵衛はこの辺りが自分の引き際と考え隠居を望んだのかもしれません。
号「如水」の意味を今さら掘り返すのも野暮な話なのかもしれませんが、その語源となったと思われる言葉を中国古典より取り上げてみました。
 
上善(じょうぜん)は水の如し -老子-
水には柔軟性があり、自己主張がなくそれでいて強い力を秘めている。そんな生き方が最善である。
 
知者は水を楽しむ -論語-
知者の生き方は流れる水のように澱みがない。
 
兵の形は水に象(かたど)る -孫子-
水は相手によって形を変える。軍もそれと同じように柔軟な行動が必要である。
 
如水は事件の三年後、長政に社を建立させ鎮房の霊を祀らせます。それが中津城内にある城井神社の起源となっています。

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