官兵衛と立花宗茂

官兵衛と立花宗茂の二人には大きな接点が三度あります。 先ずは1586年に「岩屋城の戦い」で父・高橋紹運を討たれた宗茂が立花城に籠城し、九州制覇目前の島津軍を迎え撃った時の事です。 秀吉に九州の島津攻略を命じられた官兵衛は毛利軍の軍監として九州に上陸し、島津軍を追い宗茂の窮地を救います。 次に翌年の「肥後国人一揆」では宗茂は鎮圧軍として奮戦し、官兵衛もこの戦いに援軍として出陣しています。 三度目は「関ヶ原の戦い」で敗れ柳川に戻り籠城した宗茂を官兵衛は攻める側としてあいまみえます。 この時 宗茂は親交の厚い加藤清正の説得により開城降伏しますが、 官兵衛自身も息子・長政と同年代の宗茂の無駄死にを避け、どうにかして配下に取り込む事はできないかと思案したのではと想像されます。

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