2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento わかっていない事 親魏倭王印はどこにある? -もう一つの金印が発見されれば!!- 西暦238年、魏の曹叡(曹操の孫)は朝貢した倭王の卑弥呼に対し「親魏倭王」の称号を与え金印を授けます。中国の史書では倭国が受けた金印はこの「親魏倭王」印と後漢の時代に送られた「漢委奴 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月23日 kento わかっていない事 「漢委奴国王」の読み方は? -「倭」は「委」から生まれた新漢字?- 金印「漢委奴国王」の読み方は「漢の倭の奴の国王」という読み方が通説となっているようで、高校の授業でもそう教えられた記憶があります。また福岡市博物館のサイトにも「王朝名(漢)の次に民 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento わかっていない事 金印はなぜ志賀島で…?その弐 -大夫の思惑は?- 「金印はなぜ志賀島で発見された?」で金印が志賀島で発見された理由を「金印の刻印が奴国王にとって都合の良くないものだったため」と記述しましたが、抽象的な疑問には幾通りもの説があって良いと思いますので、も […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2025年4月5日 kento わかっていない事 金印はなぜ志賀島で発見された? -奴国王の思惑は?- 江戸時代より金印には贋物説があるのですが、その説の根拠の一つに奴国の中心地から遠く離れた志賀島から見つかった不自然さが挙げられています。確かに漢の皇帝より奴国王に送られた金印が、奴国の勢力範囲だった […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月1日 kento わかっていない事 近江毛野の役職は? -「磐井の乱」の近江毛野は将軍それとも使者?- 527年、継体天皇の意を受けた近江毛野(おうみのけな)は新羅と戦うため兵6万を率い任那に向かいますが、途中の九州で国造の磐井が乱を起こしこれを阻みます。 日本書紀の継体記に […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月1日 kento わかっていない事 宇美町は不彌国? -「日本書紀」の宇美町の地名由来- 「邪馬台国はどこ?」でも書いたように「魏志倭人伝」に記載されている「不彌(ふみ)国」は民家戸数比較や距離や方角からして 現在の宇美(うみ)町の可能性が高いのですが、「宇美(うみ)町=不 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento わかっていない事 神功皇后伝説は伝説? -朝鮮半島への進出- 仲哀天皇とその皇后、神功皇后は実在の人物かどうか意見が分かれているようですが、実在の人物と仮定すれば、西暦300年代前半あたりに存在した人だと思われます。以下は2人が存在したことを前提に話を進めます […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento わかっていない事 狗奴国は「熊野」?「球磨」? -卑弥呼に属せずの「狗奴国」- 狗奴国(くなこく)は直接、福岡に関係ありませんが、「狗奴国=熊襲」の場合は間接的に関係してきます。 魏志倭人伝に記載される邪馬台国の敵国「狗奴国」は、熊野国(和歌山県)、球磨国(熊本県)、 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento わかっていない事 卑弥呼は誰? -百襲媛(ももそひめ)は鬼道につかえる?- 「魏志倭人伝」には卑弥呼に関して次のような記述があります。 「 ~前略~ 一女子を立てて王となす。名を卑弥呼という。鬼道に事(つか)え、よく衆を惑わす。この年長大 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento わかっていない事 邪馬台国はどこ? -魏志倭人伝の謎- 皆さんよくご存知の「三国志」には、「魏書」(曹操の起てた国の史書)という巻がありその中の「東夷伝」のまたその中の「倭人の条」に、邪馬台国までの道筋が記載されています。この「倭人の条」のことを日本では一 […]
2011年7月24日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento 古墳・弥生 漢委奴国王の金印 (57年) 秦の始皇帝が中国を統一したのが紀元前221年で、その「秦」は二代目で倒れ、項羽と覇を争った劉邦が「漢(前漢)」を興します。 漢は200年ほど続きますが、臣下の王莽が一時、政権を簒奪し国名を「新」とします。しかし「新」は人 […]
2011年6月26日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento 古墳・弥生 熊襲の抵抗 (300年代) 歴史上実在が認められている初めての天皇は崇神天皇ですが、その崇神天皇は倭国を中央集権化するため、「四道将軍」を発し倭国統一を目指します。これが西暦200年代後半の事だと思われます。「四道将軍」の四道とは北陸道、東海道、山 […]
2011年6月18日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 古墳・弥生 三国動乱の朝鮮へ (300年代~600年代) 倭国は、西暦300年代に三国時代(高句麗、新羅、百済)の朝鮮へ進出し伽耶に駐屯します。そして新羅が伽耶諸国を併合した西暦500年代中頃までには朝鮮半島から撤退したものと思われます。 この経緯とその後を年表で表記します。 […]
2011年6月12日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento 古墳・弥生 磐井の乱 (527年~528年) 継体天皇は527年、対新羅戦のため任那に近江毛野(おうみのけな)率いる兵6万を送ろうとしますが、筑紫国造の磐井が乱を起こしこれを阻みました。これは「新羅からの内応要請」や「朝鮮半島での戦役の負担への反発」などが理由とされ […]
2011年6月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 古墳・弥生 三国志に奴国の戸数記載 (200年代) 「三国志」の魏書の巻、東夷伝の倭人の条(魏志倭人伝)に邪馬台国への道のりが記載されていますが、その間の国々の事が簡単に記載されています。それによると各国の戸数は次のとおりになっています。 地名 戸数 想定人口 備 考 […]