秋月の乱 (1876年)

1874年に江藤新平を中心として起こった「佐賀の乱」から2年後、1876年3月28日に廃刀令が発せられると、西日本各地の士族が募る不満を爆発させます。
10月24日には熊本で太田黒伴雄が率いる170名の士族(神風連)が乱を起こし、そして3日後の10月27日、福岡秋月では宮崎車之助等が熊本の神風連に呼応し二百数十名で決起しました。続いて翌日の10月28日に元参議の前原一誠を中心とする兵200名が山口・萩にて決起します。
しかし「神風連の乱」は翌朝に、「萩の乱」は10日程度で鎮圧されます。「秋月の乱」でも決起することを約束していた豊津(幕末期の小倉藩)の士族は拘束され立てず、呼び掛けに応えると期待された佐賀の士族も動かず、孤立無援の状態に陥ります。
そして10月31日には中心となった宮崎車之助等7名が自刃し「秋月の乱」は収束へと向かいます。

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