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福岡史伝

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  3. 福岡史伝
2014年11月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町

針磨原の戦い (1353年)

1353年1月22日、直冬が去り戦う名分を失くした少弐頼尚は大宰府の浦ノ城で九州探題・一色範氏の猛攻に晒されますが、そこに宿敵・菊池武光の南朝軍が援軍に現われたため窮地を脱します。この時に少弐頼尚は武光に感謝し「今より子 […]

2014年11月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町

応仁の乱-筑前- (1467~1478年)

少弐氏と九州探題に命じられた渋川氏との反目に乗じて筑前に勢力を伸ばしていた大内氏は、1467年に「応仁の乱」が起こると兵を京都に向けます。 対馬に逃れていた少弐政資(この時点では頼忠)は対馬代官の宗氏の支援を受け筑前に上 […]

2014年11月9日 / 最終更新日時 : 2023年12月23日 kento 南北朝・室町

観応の擾乱-筑前- (1351年)

1349年、足利尊氏の右腕の高師直と、尊氏の弟・直義との確執で足利幕府は二派に割れます。長門探題を努める尊氏の庶子・直冬は叔父(義父)の直義に援軍するため軍を率い上京しようとしますが、実の父・尊氏より討伐命令が出たため、 […]

2014年11月8日 / 最終更新日時 : 2023年6月15日 kento 南北朝・室町

長者原の戦い (1362年)

鎌倉時代の鎮西探題に代わって設置された九州探題には足利一族の一色氏が就くのですが、「観応の擾乱」が起こると武家方はこの一色氏と筑前国守護の少弐氏の二派に別れ戦うことになります。この内訌が要因となり、武家方は劣勢となり一色 […]

2014年11月2日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町

今川了俊の失脚 (1395年)

南北朝が統一(1392年)された三年後、第三代将軍の足利義満は、九州で勢力を伸ばす探題・今川了俊に危険性を覚え帰京の命を出します。目の上の瘤だった了俊の失脚劇に少弐、大友、島津ら九州の守護たちは大喜びし、特に「水島の変」 […]

2014年11月1日 / 最終更新日時 : 2023年6月17日 kento 南北朝・室町

福童原の戦い (1375年)

今川了俊に大宰府を攻略され、筑後の高良山に移った菊池氏はそこで抵抗を続けますが、不運なことに、翌年に菊池武光、翌々年には後を継いだ菊池武政が立て続けに没します。 1375年、武光の甥・菊池武安は現状を打開するため高良山を […]

2014年11月1日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町

今川氏の九州攻略 (1372年)

1370年、九州に入ることも叶わなかった渋川義行に代わり九州探題に命じられた今川了俊は、九州攻略を三方面より進める策を取り、豊後に嫡男の今川貞臣を上陸させ高崎山城に籠城させます。また弟の今川仲秋を肥前へ上陸させ大宰府へ向 […]

2014年10月18日 / 最終更新日時 : 2023年12月24日 kento 福岡史伝

壬申の乱-筑紫- (672年)

天智天皇が崩御すると、その半年後の672年6月に、吉野で出家していた天皇の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)が東国に向かい、挙兵の動きを示します。 時の都の大津では不穏な空気が流れ人々は避難の準備を始めます。大津に在した […]

2013年3月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月9日 kento 江戸

黒田騒動 (1632年)

初代藩主黒田長政は「後継者には三男の長興(ながおき)を・・・」と考えますが、家臣の栗山大善(だいぜん)等の反対に押され長男の忠之(ただゆき)を後継者とします。しかし、この長男が福岡藩を継ぐことに不安を払拭できない長政は長 […]

2011年7月24日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento 古墳・弥生

漢委奴国王の金印 (57年)

秦の始皇帝が中国を統一したのが紀元前221年で、その「秦」は二代目で倒れ、項羽と覇を争った劉邦が「漢(前漢)」を興します。 漢は200年ほど続きますが、臣下の王莽が一時、政権を簒奪し国名を「新」とします。しかし「新」は人 […]

2011年7月23日 / 最終更新日時 : 2023年6月19日 kento 江戸

貝原益軒「筑前国続風土記」 (1703年)

1630年貝原益軒は福岡藩の藩医の子として生まれ、京都、長崎、江戸で見聞を広めます。 益軒は自分の目で見て考え納得したことを文章にする実証主義の人だったようで、「筑前国続風土記」を著すにあたって筑前各地へ自ら足を運び、史 […]

2011年7月16日 / 最終更新日時 : 2023年6月13日 kento 福岡史伝

岩門合戦-霜月騒動- (1285年)

「弘安の役」から3年後の1284年、北条時宗が病没すると鎌倉で御家人の安達泰盛と得宗家執事の平頼綱の確執が激しくなります。翌1285年11月、両者間で小競り合いが起きそれが戦いまでに発展します。そして安達泰盛が敗れると一 […]

2011年7月16日 / 最終更新日時 : 2023年6月22日 kento 幕末・維新

福岡の変 (1877年)

熊本、秋月、萩の乱が醒め遣らぬ1877年2月、薩摩の私学校生たちの暴発に引きずられる様に西郷隆盛が決起すると、福岡でも薩軍に呼応するため元福岡藩士の武部小四郎や越智彦四郎が準備を始めます。 そして薩軍の決起より約2ヵ月後 […]

2011年7月12日 / 最終更新日時 : 2023年9月9日 kento 幕末・維新

秋月の乱 (1876年)

1874年に江藤新平を中心として起こった「佐賀の乱」から2年後、1876年3月28日に廃刀令が発せられると、西日本各地の士族が募る不満を爆発させます。 10月24日には熊本で太田黒伴雄が率いる170名の士族(神風連)が乱 […]

2011年7月10日 / 最終更新日時 : 2023年6月12日 kento 福岡史伝

弘安の役 (1281年)

「文永の役」から6年後の1281年6月、元軍は二手に別れて侵攻してきました。東路軍は元、高麗の兵4万、江南軍は元に降伏した南宋の兵10万、総数14万の兵は「文永の役」の5倍に近い数です。 6月5日にまずは主力の東路軍が博 […]

2011年7月9日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento 福岡史伝

元弘の乱-博多- (1331年~1333年)

倒幕計画が漏れ後醍醐天皇が拘束されたことにより「元弘の乱」が起こります。通常は首謀者が拘束されると乱は収束するのですが、この時は、後醍醐天皇の親王や意を受けた武将が各地に立ちます。 これにより情勢が不安定になって来ると、 […]

2011年7月8日 / 最終更新日時 : 2023年6月18日 kento 戦国

黒田氏筑前入り (1600年)

福岡藩初代藩主、黒田長政の父、黒田如水は切れ者の野心家として知られ戦国の世に豊臣秀吉の参謀として歴史の表舞台に登場しますが、その秀吉自身も如水の智略、策謀には舌を巻いたといわれています。 九州平定後、秀吉は如水の功績に見 […]

2011年7月3日 / 最終更新日時 : 2023年9月9日 kento 幕末・維新

戊辰戦争に福岡藩出兵 (1868~1869年)

1867年10月24日、将軍の徳川慶喜が大政奉還を行うと、12月9日に朝廷は王政復古の大号令を発します。 翌年1月3日にはついに鳥羽伏見で薩摩軍と旧幕府軍の間で発砲が起こり、1年と5ヶ月に及ぶ戊辰戦争が始まります。 新政 […]

2011年7月3日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento 戦国

博多町割り (1587年)

1587年、島津氏を降し九州を平定した豊臣秀吉は筑前に戻り「多々良浜の戦」(1569年、大内氏対大友氏)や「島津氏侵攻」(1586年、島津氏対大友氏)などの戦いにより、荒廃した博多を復興するため1587年「博多町割り」を […]

2011年7月2日 / 最終更新日時 : 2023年6月20日 kento 幕末・維新

乙丑の獄 (1865年)

1864年、長州征討を受けた長州藩は一旦恭順を示しますが、筑前・平尾山荘に逃れていた高杉晋作は同年12月に下関へ戻り挙兵、翌1月には幕府へ恭順を示す保守派を倒し、幕府への対決姿勢を明らかにします。 これに神経を尖らせた幕 […]

2011年6月26日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento 古墳・弥生

熊襲の抵抗 (300年代)

歴史上実在が認められている初めての天皇は崇神天皇ですが、その崇神天皇は倭国を中央集権化するため、「四道将軍」を発し倭国統一を目指します。これが西暦200年代後半の事だと思われます。「四道将軍」の四道とは北陸道、東海道、山 […]

2011年6月26日 / 最終更新日時 : 2023年6月12日 kento 平安

平清盛「袖の湊」を築く (1158年~1170年代)

正確な年代は不明ですが平安時代の末期、博多に「袖の湊」が築かれます。この港は平清盛が築いたのではないかといわれていますが、その説が正しいとすれば、1158年、清盛が大宰大弐に任命された以降のことだと思われます。 この任命 […]

2011年6月19日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento 平安

「刀伊」(女真族)の入寇 (1019年)

1019年女真族「刀伊」の海賊3,000が50艘の船で対馬、壱岐を襲い、博多湾に姿を現します。そして糸島東部から早良郡、能古島を荒らし、次に箱崎を攻撃します。 大宰権帥(だざいごんのそつ-大宰府長官-)の藤原隆家は警固所 […]

2011年6月18日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento 平安

藤原純友の乱 (941年)

四国伊予国で海賊討伐する立場であった藤原純友は936年頃に自ら海賊となり瀬戸内海で暴れまわりますが、941年2月、朝廷より鎮圧に派遣された軍に本拠地の伊予を制圧されます。 行き場をなくした純友は博多湾より大宰府へ侵攻し、 […]

2011年6月18日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento 平安

新羅海賊の入寇 (869年)

平安初期の800年代、新羅の海賊が度々九州北部に来寇します。これには次のような事情があります。 676年朝鮮統一を果たした新羅はこの頃には衰退期を迎え、地方の王族や豪族が力を持ち始め、各地で反乱が起こります。このような混 […]

2011年6月18日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 古墳・弥生

三国動乱の朝鮮へ (300年代~600年代)

倭国は、西暦300年代に三国時代(高句麗、新羅、百済)の朝鮮へ進出し伽耶に駐屯します。そして新羅が伽耶諸国を併合した西暦500年代中頃までには朝鮮半島から撤退したものと思われます。 この経緯とその後を年表で表記します。 […]

2011年6月18日 / 最終更新日時 : 2023年6月11日 kento 福岡史伝

観世音寺建立 (661年)

斉明天皇は百済復興支援のため入った九州で突然崩御します。中大兄皇子はこの母のために大野山の麓に大規模寺院を創建することを決めますが、これが85年の歳月をかけて完成する「観世音寺」です。 斉明天皇は重祚(二度以上、天皇の地 […]

2011年6月12日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento 古墳・弥生

磐井の乱 (527年~528年)

継体天皇は527年、対新羅戦のため任那に近江毛野(おうみのけな)率いる兵6万を送ろうとしますが、筑紫国造の磐井が乱を起こしこれを阻みました。これは「新羅からの内応要請」や「朝鮮半島での戦役の負担への反発」などが理由とされ […]

2011年6月9日 / 最終更新日時 : 2023年6月11日 kento 奈良

藤原広嗣の乱 (740年)

天然痘の流行で当時の有力者、藤原四兄弟(藤原不比等の息子たちで藤原鎌足の孫にあたる)が立て続けに没すると、皇族の橘諸兄(たちばなのもろえ)が政権を握ります。 藤原四兄弟の三男宇合(うまかい)の息子、藤原広嗣(ひろつぐ)は […]

2011年6月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 古墳・弥生

三国志に奴国の戸数記載 (200年代)

「三国志」の魏書の巻、東夷伝の倭人の条(魏志倭人伝)に邪馬台国への道のりが記載されていますが、その間の国々の事が簡単に記載されています。それによると各国の戸数は次のとおりになっています。 地名 戸数 想定人口 備  考 […]

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貝原益軒の著作を中心に先人たちの言葉を抜粋引用し、独断と偏見でその言葉への想いをゴタクとして並べています。

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