2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月10日 kento わかっていない事 福岡城に天守はあったか? -福岡の歴史に登場しない幻の天守閣- 以前は福岡城に天守閣はなかったいうのが定説だったようですが、最近になって細川家の古文書より「黒田長政が天守閣を取り壊すらしい」といった文書が見つかったため、その存在の真偽の議論が活発 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento わかっていない事 金印はなぜ志賀島で…?その弐 -大夫の思惑は?- 「金印はなぜ志賀島で発見された?」で金印が志賀島で発見された理由を「金印の刻印が奴国王にとって都合の良くないものだったため」と記述しましたが、抽象的な疑問には幾通りもの説があって良いと思いますので、も […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2025年4月5日 kento わかっていない事 金印はなぜ志賀島で発見された? -奴国王の思惑は?- 江戸時代より金印には贋物説があるのですが、その説の根拠の一つに奴国の中心地から遠く離れた志賀島から見つかった不自然さが挙げられています。確かに漢の皇帝より奴国王に送られた金印が、奴国の勢力範囲だった […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento わかっていない事 「朝倉橘広庭宮」はどこ? -斉明天皇崩御の地- 中大兄皇子の母、斉明天皇は百済救援のため661年3月九州に入り「磐瀬行宮(いわせのかりみや)」(福岡市南区三宅)に滞在します。 5月には「朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)」に移り、 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月1日 kento わかっていない事 「隋書」の秦王国はどこ? -筑紫の東にあった中華風な国とは?- 隋の煬帝(ようだい)は日本からの使者・小野妹子が帰国する際に裴世清(はいせいせい)を使者として付けますが、その時の道筋が唐時代初期に書かれた「隋書」に記載されています。 百済を渡り( […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月1日 kento わかっていない事 煬帝の返書の行方は? -小野妹子、返書の提出できず!- 中国の南北朝の時代の混乱が終わりを告げ、隋が中国をほぼ統一すると大和朝廷は遣隋使を派遣します。 遣隋使の船は出発時も帰還の際も那の大津(博多より2㎞ほど西方)を寄港地としていたようです。 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月1日 kento わかっていない事 近江毛野の役職は? -「磐井の乱」の近江毛野は将軍それとも使者?- 527年、継体天皇の意を受けた近江毛野(おうみのけな)は新羅と戦うため兵6万を率い任那に向かいますが、途中の九州で国造の磐井が乱を起こしこれを阻みます。 日本書紀の継体記に […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月1日 kento わかっていない事 宇美町は不彌国? -「日本書紀」の宇美町の地名由来- 「邪馬台国はどこ?」でも書いたように「魏志倭人伝」に記載されている「不彌(ふみ)国」は民家戸数比較や距離や方角からして 現在の宇美(うみ)町の可能性が高いのですが、「宇美(うみ)町=不 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento わかっていない事 神功皇后伝説は伝説? -朝鮮半島への進出- 仲哀天皇とその皇后、神功皇后は実在の人物かどうか意見が分かれているようですが、実在の人物と仮定すれば、西暦300年代前半あたりに存在した人だと思われます。以下は2人が存在したことを前提に話を進めます […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento わかっていない事 狗奴国は「熊野」?「球磨」? -卑弥呼に属せずの「狗奴国」- 狗奴国(くなこく)は直接、福岡に関係ありませんが、「狗奴国=熊襲」の場合は間接的に関係してきます。 魏志倭人伝に記載される邪馬台国の敵国「狗奴国」は、熊野国(和歌山県)、球磨国(熊本県)、 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento わかっていない事 卑弥呼は誰? -百襲媛(ももそひめ)は鬼道につかえる?- 「魏志倭人伝」には卑弥呼に関して次のような記述があります。 「 ~前略~ 一女子を立てて王となす。名を卑弥呼という。鬼道に事(つか)え、よく衆を惑わす。この年長大 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento わかっていない事 邪馬台国はどこ? -魏志倭人伝の謎- 皆さんよくご存知の「三国志」には、「魏書」(曹操の起てた国の史書)という巻がありその中の「東夷伝」のまたその中の「倭人の条」に、邪馬台国までの道筋が記載されています。この「倭人の条」のことを日本では一 […]
2021年4月18日 / 最終更新日時 : 2023年9月9日 kento 幕末・維新 最後の仇討 (1880年) 秋月藩家老の臼井亘理(うすいわたり)とその妻・清子が尊王攘夷派の干城隊隊士十数名により寝込みを襲われ斬殺されます。その長男・臼井六郎は11歳でこの暗殺直後の現場を目の当たりにします。これは慶応から明治に元号が変わる江戸時 […]
2018年5月7日 / 最終更新日時 : 2023年8月15日 kento 奈良 宇佐八幡宮神託事件 (769年) 宇佐八幡宮神託事件は「続日本記(しょくにほんぎ)」に書かれている出来事です。その記事は769年、称徳天皇の怒りの詔(みことのり)から唐突に始まります。 「臣下というものは、君主に従い清く貞しい明るい心をもって助け守り、無 […]
2015年3月25日 / 最終更新日時 : 2023年8月30日 kento 福岡史伝 源平合戦後の九州 (1185年~) 「壇ノ浦の戦い」で平家が滅亡すると、平家方の武将であった原田種直は領地を没収され鎌倉で囚われの身となります。 そして九州には源頼朝が武藤資頼(すけより)、大友能直(よしなお)、島津忠久(ただひさ)を派遣し、武藤氏は九州北 […]
2015年1月17日 / 最終更新日時 : 2023年6月11日 kento 奈良 道君首人の農政改革 (713年) 若き頃に法律を学び官僚としても優秀だった道君首名(みちのきみおびとな)は53歳の頃に筑後守として赴任します。年齢からして第一線を退き、引退までの繋ぎの赴任だったのかもしれませんが、首名は筑後で果物や野菜の栽培、畜産を促進 […]
2014年12月14日 / 最終更新日時 : 2023年6月11日 kento 福岡史伝 防人と烽の設置 (663年) 663年、新羅・唐の連合軍の九州上陸を想定し、対馬、壱岐、筑紫に防人(さきもり)と烽(すすみ)を設置します。防人とは筑紫の守備のために全国より派遣された兵士で、烽とは敵の動向を知らせる狼煙台のことになります。 百済を制し […]
2014年11月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 針磨原の戦い (1353年) 1353年1月22日、直冬が去り戦う名分を失くした少弐頼尚は大宰府の浦ノ城で九州探題・一色範氏の猛攻に晒されますが、そこに宿敵・菊池武光の南朝軍が援軍に現われたため窮地を脱します。この時に少弐頼尚は武光に感謝し「今より子 […]
2014年11月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 応仁の乱-筑前- (1467~1478年) 少弐氏と九州探題に命じられた渋川氏との反目に乗じて筑前に勢力を伸ばしていた大内氏は、1467年に「応仁の乱」が起こると兵を京都に向けます。 対馬に逃れていた少弐政資(この時点では頼忠)は対馬代官の宗氏の支援を受け筑前に上 […]
2014年11月9日 / 最終更新日時 : 2023年12月23日 kento 南北朝・室町 観応の擾乱-筑前- (1351年) 1349年、足利尊氏の右腕の高師直と、尊氏の弟・直義との確執で足利幕府は二派に割れます。長門探題を努める尊氏の庶子・直冬は叔父(義父)の直義に援軍するため軍を率い上京しようとしますが、実の父・尊氏より討伐命令が出たため、 […]
2014年11月8日 / 最終更新日時 : 2023年6月15日 kento 南北朝・室町 長者原の戦い (1362年) 鎌倉時代の鎮西探題に代わって設置された九州探題には足利一族の一色氏が就くのですが、「観応の擾乱」が起こると武家方はこの一色氏と筑前国守護の少弐氏の二派に別れ戦うことになります。この内訌が要因となり、武家方は劣勢となり一色 […]
2014年11月2日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 今川了俊の失脚 (1395年) 南北朝が統一(1392年)された三年後、第三代将軍の足利義満は、九州で勢力を伸ばす探題・今川了俊に危険性を覚え帰京の命を出します。目の上の瘤だった了俊の失脚劇に少弐、大友、島津ら九州の守護たちは大喜びし、特に「水島の変」 […]
2014年11月1日 / 最終更新日時 : 2023年6月17日 kento 南北朝・室町 福童原の戦い (1375年) 今川了俊に大宰府を攻略され、筑後の高良山に移った菊池氏はそこで抵抗を続けますが、不運なことに、翌年に菊池武光、翌々年には後を継いだ菊池武政が立て続けに没します。 1375年、武光の甥・菊池武安は現状を打開するため高良山を […]
2014年11月1日 / 最終更新日時 : 2023年9月2日 kento 南北朝・室町 今川氏の九州攻略 (1372年) 1370年、九州に入ることも叶わなかった渋川義行に代わり九州探題に命じられた今川了俊は、九州攻略を三方面より進める策を取り、豊後に嫡男の今川貞臣を上陸させ高崎山城に籠城させます。また弟の今川仲秋を肥前へ上陸させ大宰府へ向 […]
2014年10月18日 / 最終更新日時 : 2023年12月24日 kento 福岡史伝 壬申の乱-筑紫- (672年) 天智天皇が崩御すると、その半年後の672年6月に、吉野で出家していた天皇の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)が東国に向かい、挙兵の動きを示します。 時の都の大津では不穏な空気が流れ人々は避難の準備を始めます。大津に在した […]
2013年3月24日 / 最終更新日時 : 2023年9月9日 kento 江戸 黒田騒動 (1632年) 初代藩主黒田長政は「後継者には三男の長興(ながおき)を・・・」と考えますが、家臣の栗山大善(だいぜん)等の反対に押され長男の忠之(ただゆき)を後継者とします。しかし、この長男が福岡藩を継ぐことに不安を払拭できない長政は長 […]
2011年7月24日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento 古墳・弥生 漢委奴国王の金印 (57年) 秦の始皇帝が中国を統一したのが紀元前221年で、その「秦」は二代目で倒れ、項羽と覇を争った劉邦が「漢(前漢)」を興します。 漢は200年ほど続きますが、臣下の王莽が一時、政権を簒奪し国名を「新」とします。しかし「新」は人 […]
2011年7月23日 / 最終更新日時 : 2023年6月19日 kento 江戸 貝原益軒「筑前国続風土記」 (1703年) 1630年貝原益軒は福岡藩の藩医の子として生まれ、京都、長崎、江戸で見聞を広めます。 益軒は自分の目で見て考え納得したことを文章にする実証主義の人だったようで、「筑前国続風土記」を著すにあたって筑前各地へ自ら足を運び、史 […]
2011年7月16日 / 最終更新日時 : 2023年6月13日 kento 福岡史伝 岩門合戦-霜月騒動- (1285年) 「弘安の役」から3年後の1284年、北条時宗が病没すると鎌倉で御家人の安達泰盛と得宗家執事の平頼綱の確執が激しくなります。翌1285年11月、両者間で小競り合いが起きそれが戦いまでに発展します。そして安達泰盛が敗れると一 […]
2011年7月16日 / 最終更新日時 : 2023年6月22日 kento 幕末・維新 福岡の変 (1877年) 熊本、秋月、萩の乱が醒め遣らぬ1877年2月、薩摩の私学校生たちの暴発に引きずられる様に西郷隆盛が決起すると、福岡でも薩軍に呼応するため元福岡藩士の武部小四郎や越智彦四郎が準備を始めます。 そして薩軍の決起より約2ヵ月後 […]