2025年9月28日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 名所旧跡 白滝神社「白滝夫婦木」 白滝神社の御神木、クスの木とムクの木は仲良く絡み合いながら成長しています。クスの木の幹まわりは五.五m、高さ十五m堂々としています。 樹齢三百年とも云われます。 この地は、別称平家堂とも云われ文治元年(1185年)壇の浦 […]
2023年7月23日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 名所旧跡 水天宮 -久留米市京町- 水天宮の起源は高倉平中宮(徳子-平清盛の娘-)に仕えた按察使局(あぜちのつぼね)伊勢が「壇ノ浦の戦い」後、筑後川の辺の鷺野ヶ原(さぎのがはら)に逃れて安徳天皇、高倉平中宮、二 […]
2023年7月16日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 名所旧跡 水城東門跡 -太宰府市国分- 水城の東西端には門が設けられました。ここはその東門跡で、都から大宰府への玄関口でした。 大宰府に赴任する官人たちは、水城の門で出迎えを受け、また送り出されました […]
2023年7月9日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 名所旧跡 唐原・落人の里 -糸島市二丈満吉- 平安時代の末、栄華をきわめた平家の勢いにも陰りが見えはじめ、源氏によって都を追われた人々は西国の各地に隠れ住んだ。この唐原(とうばる)の里にも、平清盛の息子で […]
2023年7月9日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 名所旧跡 平信盛公墓 -宗像市- 【平信盛公墓】 宗像市 文化財第一号 史蹟 (昭和四十九年三月三十日) 名称 平信盛笠塔婆 一基 説明 この墓碑は平信盛(清盛の孫 父は中納言知盛)月絵姫(大納言光盛 […]
2023年6月12日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 平安 芦屋から壇ノ浦へ (1183年~1185年) 豊後の緒方氏の兵に大宰府を追われた平家一門は博多の東の箱崎を抜け、そこから東の海岸沿いに遠賀川河口の山鹿へ向かいます。 山鹿といえば熊本県山鹿市が有名なのですが、福岡県遠賀郡の芦屋町にも山鹿という土地があり平家物語に出て […]
2023年6月12日 / 最終更新日時 : 2025年10月13日 kento 平安 筑後高野の戦い (1183年) 木曽義仲に都を追われた平家一門は大宰府に入りますが、都府楼は鎮西反乱で焼け落ちていたため安徳天皇は原田種直の屋敷に入ったといわれます。そのためすべての平家の人々が屋敷に入り切れず、末端の人々は野宿同然の生活を強いられたよ […]
2023年6月12日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 平安 鎮西反乱 (1180年~1185年) -治承・寿永の乱- 1180年の後白河天皇の第三皇子の以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)により、日本各地で平家に対する募る不満が爆発します。京では源頼政が以仁王に従い、伊豆では源頼朝、木曽では源義仲が挙兵します。 […]
2023年5月29日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 意外な話 糸島の平家伝説 (平安時代) -平重盛の妻子と都見石- 糸島市の二丈満吉には「都見石(みやこみいし)」という史跡があります。この石は、唐原(とうばる・糸島市満吉の南部)の山中の畑の所々に露出する1~2m程の岩石群の事になります。唐原には、この石に関す […]
2023年5月29日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 意外な話 筑後みやまの平家伝説 (平安時代) -平家の史跡- 壇ノ浦の戦いで生き残った平家の一団は船または徒歩で博多を経て、そこから大宰府に向かったものと思われます。ただ頼りの原田種直は「葦屋浦の戦い」で源範頼に敗れもう平家の人々を守る力も気力もなかったのかもしれま […]
2020年6月9日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 余談 平家最後の拠点・彦島 九州を追われた平家は1183年11月「水島の戦い」で源義仲を破るものの、翌年2月 源義経に「一ノ谷の戦い」で敗れ、その1年後には「屋島の戦い」で再び敗れ四国を追われます。 「屋島の戦い」の数日前には源範頼が九州芦屋に上陸 […]
2015年3月25日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 福岡史伝 源平合戦後の九州 (1185年~) 「壇ノ浦の戦い」で平家が滅亡すると、平家方の武将であった原田種直は領地を没収され鎌倉で囚われの身となります。 そして九州には源頼朝が武藤資頼(すけより)、大友能直(よしなお)、島津忠久(ただひさ)を派遣し、武藤氏は九州北 […]
2011年6月26日 / 最終更新日時 : 2025年9月28日 kento 平安 平清盛「袖の湊」を築く (1158年~1170年代) 正確な年代は不明ですが平安時代の末期、博多に「袖の湊」が築かれます。この港は平清盛が築いたのではないかといわれていますが、その説が正しいとすれば、1158年、清盛が大宰大弐に任命された以降のことだと思われます。 この任命 […]