【記想録】山口村 圓通院

貝原益軒の『筑前続風土記』 巻之十三 鞍手郡 の項には、山口村の圓通院建立の由来が書かれています。
 
天文廿年(1551年)、大内義隆は、その臣、陶晴賢の謀反にあい自刃します。この時、宗像大宮司氏男(うじお)は大内義隆に従っており、この謀反で討死します。
陶晴賢は姪と宗像正氏の間に生まれた宗像氏貞を大宮司に地位を就けるため、宗像に送り込みます。これに宗像の家人たちは同意せず、宗像氏続(うじつぐ)の子で三歳の千代松を後継とします。晴賢はこれに怒り宗像氏続と千代松を亡き者にすることを命じます。これを聞いた氏続は彦山(英彦山)へ逃れますが、氏貞の配下の者が少数で彦山に行き氏続を殺害します。 […本文へ]