宮本武蔵(みやもとむさし)

【1584年~1645年】

戦国末の動乱期に美作に生れ、13歳より壮年に至るまで六十数回の剣術勝負を行い負けた事がなかったといわれます。その中でも「巌流島の戦い」はよく知られていますが、この戦いは豊前・小倉の船島(現在は山口県)で行われ、細川藩の検史が決闘を見届けています。
その後、武蔵は有力者に請われたのか山陽を中心に各地を訪れたのち、最終的に熊本へ移封されていた細川藩に呼ばれその食客となります。そして晩年には熊本城と有明海の間にそびえる金峰山の岩窟・霊巌洞に籠って『五輪書』を書き上げることになります。