太宰府天満宮

-太宰府市宰府-
 


 
901年、菅原道真は政敵の藤原時平などの勢力よって大宰府に流され、その二年後に謫居(たっきょ)で亡くなります。遺骸は大宰府政庁東方の安楽寺に葬られ、919年その場所に社殿が建立されます。これが現在の太宰府天満宮となります。
ここに奉られる道真公は幼い頃から詩文の才に恵まれ、朝廷に上がってからもと次々と位を進めます。この経歴より現在では学問の神として信仰を集め、受験の時期には沢山の祈願者が天満宮を参拝します。本殿の正面脇には道真公を慕って京都より一夜にして飛来したといわれる「飛び梅」(写真正面の梅)があり、また境内には「五卿遺跡」の碑、「麒麟像」などの歴史の足跡を今に伝える石碑や像、樹木が存在します。
 



 


  
写真は左から一の鳥居太鼓橋麒麟像になります。

【太宰府天満宮-参道~本殿-】
「梅ヶ枝餅」を造る店や茶店、お土産店の立ち並ぶ石畳の参道を進むと「一の鳥居」が見えてきます。
ここを右に行くと「光明禅寺」、真っ直ぐ鳥居をくぐると幕末の志士たちが集った「延寿王院」に突き当たります。
「一の鳥居」の写真は「延寿王院」の門前より参道の方角を撮影したものです。
次に「延寿王院」を左にまがって「天満宮最古の鳥居」をくぐると「太鼓橋」があります。結構、急勾配な橋です。
この橋をカップルで渡ると縁が切れるという噂があった様ですが、天満宮のホームページでは否定されているので「面白おかしく広がった噂」に間違いないでしょう。
私事ですが、この太鼓橋を渡る時いつも「また太宰府に来たな~」って、近くに住んでいながらにして、そんなん懐かしい様な気分なります。
太鼓橋を渡って右手前方にはイギリス商人グラバーが見とれた「麒麟像」が、右方向には「如水の井戸」と「曲水の宴」がとり行われる「曲水の庭」があります。「太鼓橋」を真っ直ぐ行くと、「楼門」を通って「飛梅」のある「本殿」に行き着きます。パッチ、パッチ、「合格しますように!」


天満宮楼門

■太宰府天満宮の催し■
【1月7日】 鬼すべ神事
【3月第1日曜日】 曲水の宴
【7月7日】 七夕の宴
【9月21日~25日】 神幸式大祭

正式な開催日は、天満宮のホームページでご確認ください。

 



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