榎社

-太宰府市朱雀-
 


 
【榎社】

 

菅原道真公は、太宰府に左遷されてから逝去されるまでこの地で謫居された。
毎年九月、菅公の御神霊はここに神幸され、一夜過ごされて翌日天満宮本殿に還御される。
榎社は、菅公を日夜お世話された浄妙院を祀る社である。

太宰府市

 

「榎社」の案内板より

 
 

 不出門


一從謫居就柴荊
萬死兢々跼蹐情
都府樓纔看瓦色
観音寺只聴鐘聲
中懐好逐孤雲去
外物相逢満月迎
此地雖身無検繋
何為寸歩出門行


命に従いこの謫居に移ってからは
ただ恐れ入り深く慎む心情で過ごす
都府楼の瓦が僅かに見え
観世音寺の鐘の音のみが響く
心のわだかまりは孤雲と共に遥か彼方へ去り
人と会う代わりに満月を迎える
この地では拘束される身ではないが
どうしてこの門より外へ出て行けようか

 秋夜


床頭展轉夜深更
背壁微燈夢不成
早雁寒蛬聞一種
唯無童子讀書聲


床では寝返りを打つのみで夜は更けてゆく
微燈の灯る部屋、夢を見ることもできない
時期の早い雁と時期遅れの虫の鳴く声が聞こえるが
もう子供の書物を読む声を聞くことはない

 
菅原道真公は幼い男女二人の子供を連れ謫居に入りますが、そこでの生活は思った以上に厳しいものだったようで「慰少男女詩」という二人を慰める漢詩を詠んでいます。翌年には劣悪な環境の中で男児の隈麿が亡くなります。
上の「秋夜」という漢詩はその頃に詠まれたものと思われます。女児の紅姫の行方は伝わっていないようですが、流配された兄の元もしくは、縁者に引き取られたのではと想像されています。

道真公が千年以上に亘り長く広く信仰される理由は「都での華々しい経歴」でも「祟り伝説」のためでもなく、この謫居で書き残した詩文が後世の人々の心を強く深く打ったからではないかと個人的には思われます。

 



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