平頼盛(たいらよりもり)

【1133年~1186年(平安時代)】

平清盛の異母弟で平治の乱に活躍し、1166年大宰大弐に任命されます。博多に人口港「袖の浦」が平清盛の指示によりが建造されたといわれていますが、 頼盛もこの港の建造に関わったものと思われます。ただ貝原益軒の「筑前国続風土記」には菅原道真配流の時期には「袖の浦」が存在したことをにおわす記述があり、「袖の浦」の確かな建造年はわかっていません。
頼盛はのちの源平合戦の時、平家一門と袂を分つ事となり、「壇ノ浦の戦い」の翌年に京都で病没ています。