源為朝(みなもとためとも)

【1139年~1170年(平安時代)】

父親の源為義より勘当され九州にやって来た為朝は自ら鎮西八郎を名乗ります。 「鎮西」とは九州の治安を守る機関またはその統率者のことで、「八郎」は源為義の八男を表しているのですが、 この八郎、九州の治安を守るどころか豊後を中心に肥後、豊前、筑前で暴れ回ったようで、 その傍若無人な行動により遂に香椎宮に訴えられ朝廷より帰京を命ぜられています。 始め八郎はこの命令を無視していましたが、息子の責任を負った父・為義が職を追われると観念し豪傑28人を引連れ京に戻って行きました。 因みにこの豪傑の中の豪傑・為朝は源頼朝、義経の叔父にあたります。