近江毛野(おおみけな)

【?~530年(古墳時代)】

継体天皇の命で近江毛野は新羅に奪われた地域を取り戻すため任那へ向かいますが、 その途中の九州で国造(くにのみやっこ)の磐井へ出兵の命令を伝えます。磐井はこの命令を拒否し反乱を起こします。 乱は1年半で平定されますが、その後、兵を率い朝鮮に渡った近江毛野の任那復興は上手くゆかず、新羅のみか百済からも攻められ窮地に陥ります。 この失策を理由に帰還を促されますが、すぐには戻らず二度目の命令でようやく腰を上げます。しかし帰国途中の対馬で突然病死することになりました。