栗山大善(くりやまだいぜん)

【1591年~1652年】

黒田官兵衛の信頼の厚かった栗山利安の息子。 栗山大善は第二代藩主の座に黒田長政の長男の忠之を就けますが、 その後、何かと行動に問題のある藩主・忠之との間に軋轢を生じ収拾不可能となると幕府に訴え出ます。 幕府は徳川家と黒田家との関係を重視し大善を南部藩預けとし、忠之の寵臣を高野山への追放し事を収めました。 これが「黒田騒動」ですが栗山大善は南部藩で余生を過ごし20年後に没することになります。 この時の藩の存続を危うくした大善の行動に関しては肯定派と否定派に分かれたようです。 この事件との関係はないのでしょうが、貝原益軒は「筑前国続風土記」で 甲羅干しをしていた大亀をたまたま通りかかった栗山大善が得意の鉄砲で撃ち殺したため大洪水が起こったという伝説を紹介しています。