坂本龍馬(さかもとりょうま)

【1836年~1867年】

勝海舟が失脚し、1865年 神戸海軍操練所が閉鎖されると、龍馬は一旦、鹿児島に身を寄せます。 そして5月には太宰府を訪れ五卿と面談します。この時に五卿の一人、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)は龍馬の印象を 「偉人なり、奇説家なり」と評しています。龍馬の行動は慌しく、その数日後には下関で桂小五郎と面会し薩長同盟を図りますが、 西郷隆盛が下関に現れなかったため、この時の同盟締結は失敗します。同盟が成ったのは翌年1月で、 情勢は倒幕に向かって一気に動き出しますが、その翌年1867年11月、 京都・近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲われ維新を迎えることなくその生涯を終えることになりました。