今川了俊(いまがわりょうしゅん)

【1326年~1420年】

渋川氏に代わり九州探題に命じられると長門の大内氏の協力を得て九州に上陸します。 そして菊池武光を筑前より追い落とし12年ぶりに大宰府を南朝勢力より奪い返します。 しかし九州探題に筑前支配の主導権を奪われる危険性を感じた少弐冬資(しょうにふゆすけ、少弐頼尚の次男)が南朝軍の攻略に非協力的になると、 了俊は肥後の水島(山鹿と菊池の間の地域?)で謀略を用い冬資を殺害しました。 この暴挙で了俊と冬資の仲を取持った島津氏久は離反し、大友親世も一時兵を引き上げています。 了俊は25年ほど九州に留まったのち帰還命令が出たため京都へ戻りますが、 その後、筑前には了俊の九州支配に協力した長門周防の大内氏が進出して来ることになります。