菊池武光(きくちたけみつ)

【1319年~1373年】

菊池武時の十男で、母親方の後ろ盾がなかったためか十三代頭主の兄・菊池武重の没後、弟の武士(たけし)にその座を譲ります。しかし公卿の娘の子であった武士は武力、統率力に欠けたのか頭主の座を廃されて、武光が十五代頭主となります。 その後 武光は後醍醐天皇の皇子・懐良親王を迎え着々と勢力を拡大し筑後から筑前へ侵攻します。 この時、筑前では北朝方の少弐頼尚と九州探題・一色範氏との間で内部抗争が起こっていました。 武光は先ず一色範氏と手を結び少弐頼尚に当たり、次に頼尚と同盟し範氏を破ります(針摺原の戦い)。 この戦いで大敗を喫した範氏は後に九州を追われます。 そして武光は残った宿敵・少弐頼尚と「筑後川の戦い」で壮絶な戦い繰り広げ、勝利を勝ち取り2年後には大宰府を奪います。 この時より12年間、九州は南朝勢力が掌握することとなります。