国分尼寺跡

-太宰府市国分寺-

 

【国分尼寺跡】
天平13年(741)聖武天皇は鎮護国家、五穀豊穣を祈るため、諸国に国分寺、国分尼寺建立を命じた。尼寺は正式名称を「法華滅罪之寺」といい、尼僧10人と規定された。ここは筑前国の国分尼寺があった所と伝えられるが、今はわずかに田圃の中に礎石が一個残るのみである。なお(筑前)国分寺跡は東300Mの所にある。

太宰府市

 

国分寺尼寺跡 案内板より

 
現在、礎石は他の場所に移動保管されているそうです。
 



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