筑前国分寺

-太宰府市国分寺-
 

 

 
【史跡 筑前国分寺】
現在になお法灯を伝える筑前国分寺は、天平十三年(741)聖武天皇の勅願により、全国六十余国に造られた国分寺の一つである。
近年の発掘調査により、主要な建物の配置および規模もしだいに明らかになりつつある。その伽藍配置は中央に金堂、北に講堂、東に塔を配し、中門から伸びる回廊は塔を囲み金堂に接続する。
また、寺域は溝に区画され、約192m四方と考えられる。現在の国分寺の金堂の跡に建てられたものであり、本道の中には平安時代の作といわれ、重要文化財に指定されている丈六の伝薬師如来坐像を伝えている。

昭和五十四年三月    福岡県教育委員会
史跡 筑前国分寺 案内板より

 
国分寺は聖武天皇によって諸国に創建されましたが、 創建の時期から玄昉僧正が深く関わっていたのではないかといった説があるようです。
 
 
 
 

 

【講堂跡】
昭和五十二年度の発掘調査の結果から、建物遺構は二期にわけられる。
一期遺構
基壇上部が大きく削平され、しかも基壇の西側部分がカットされているため基壇規模を直接知り得ないが、基壇南辺中央階段および北辺階段の中央を結んだ線を折り返すと約三十四米になり、また階段の幅及び基礎根石下に配された環状配石から推定すると七間×四間の四面庇(ひさし)建物になる。整備はこの一期遺構を平面復元いたものである。礎石は大部分を紛失しているため一応三個だけ配した。
二期遺構
一期講堂基壇を南に一.八米ずらしている。その地の平面規模等についてはわからない。

昭和五十五年一月       福岡県教育委員会

 

国分寺講堂跡 案内板より

 
 



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