加藤司書(かとうししょ)

【1830年~1865年】

西洋諸国の介入を招く恐れのある国内対立を早期に収束させるため、 西郷隆盛と共に第一回長州征討軍解兵に尽力します。しかし一年後には藩内・佐幕派の台頭で「乙丑の獄」が起こり、 博多の天福寺で切腹することになります。 ちなみに福岡藩と土佐藩の成り立ちは「関ヶ原の戦い」より徳川家の天下平定に協力し、外様ながら譜代以上の待遇を得ていることで類似しています。 また幕末には勤王党が活発な活動をし、弾圧された面でもよく似てますが、ただ一つ土佐勤王党が郷士を中心として組織されたのに対して、 筑前勤王党が家柄に関係なく組織された面に相違があるようです。この加藤司書も上流武士の出身で筑前勤王党の中心人物となり、家老職にも就いています