黒田長溥(くろだながひろ)

【1811年~1887年】

島津藩主の重豪(しげひで)の十三男で、黒田家に養子として入ります。 開明的な藩主で蘭学を取り入れ中洲には反射炉を建設するなどしています。 しかし1865年の「乙丑の獄」で筑前勤王党の弾圧を行い勤皇派を一掃します。 弾圧の原因はハッキリしていないのですが、 勤王党の過激な一派が長溥の重臣を暗殺した二つの事件が一因であるのは間違いないようです。 結果的にこの弾圧が明治以降、福岡藩に大きな影を落としていくことになるのです。 勤王派を尊重しながらも、幕府へも気を配らなくてはならない黒田藩の歴史的な事情がこの藩主の肩に重くのしかかっていたのかもしれません。