立花宗茂(たちばなむねしげ)

【1567年~1643年】

高橋紹運の長男として生まれ後に嫡男のない立花道雪に請われて養子となり立花家を継ぐことになります。 島津軍の筑前侵攻では父・紹運が岩屋城で玉砕するものの、宗茂は香椎北東の立花山城に篭り豊臣秀吉の援軍が九州に上陸するまで城を守りきります。 その後、数々の武功を上げ秀吉より柳川13万石を与えられますが、関ヶ原の戦いでは秀吉への恩義から西軍についたため改易され浪人となります。しかし20年後には許され柳川の大名として復帰することになりました。武勇のみではなく人間性にも優れた武将だったようですが、これには父・高橋紹運の生き方が大きく影響してたのではと思われます。