源平合戦後の九州
福岡史伝・鎌倉時代の記事「源平合戦後の九州」で「島津氏が九州南部(現在の鹿児島、宮崎)の守護を務めます」と記載していましたが、日向には伊東氏が下向していますので「島津氏が九州南部(現在の鹿児島)の守護を務めます」と書換え、伊東氏の下向も追記しました。
福岡史伝・鎌倉時代の記事「源平合戦後の九州」で「島津氏が九州南部(現在の鹿児島、宮崎)の守護を務めます」と記載していましたが、日向には伊東氏が下向していますので「島津氏が九州南部(現在の鹿児島)の守護を務めます」と書換え、伊東氏の下向も追記しました。