「平野國臣紙撚文書」とは? (1862年)

-筆がなけば紙で書く-

平野國臣は西郷隆盛、真木和泉の他、「池田屋事変」に斃れた宮部鼎蔵、新選組の元をつくった策謀の士、清川八郎、当代随一の開明家・佐久間象山を暗殺した過激攘夷の志士、川上彦斎などとも交わりをもち、当時も名の知れた討幕の志士でした。
1863年「生野の変」で挙兵しますが失敗、捕らえられ京都の六角獄に投獄され、翌1864年の「禁門の変」の混乱で斬首され37歳の一生を終えました。

この年より溯ること2年、1862年に平野國臣は「寺田屋事変」に関わり捕らえられ福岡で投獄されますが、そこでは筆を所望するも与えられなかったためコヨリで文字を作り紙に練った飯粒で貼り付け文章を記述します。
これが「平野國臣紙撚文書」といわれるもので、芸術性の高さはさるものながら牢の中で時間を持て余したとはいえ、これだけ根気の要る作業を行った國臣の意思の強さがひしひしと伝わる創作物になっています。
絵師・神坂雪佳作の平野國臣肖像画もこの「紙撚文書」を作成している様子をモチーフに描かれています。
「平野國臣紙撚文書」は京都大学電子図書館で閲覧することが可能ですので、興味のある方は一度ご覧ください。


上段写真/福岡市博物館の紙撚文書「囹圄(れいぎょ)和歌集」
下段写真/「平野國臣先生誕生地」碑 中央区今川

京都大学電子図書館「平野國臣紙撚文書」