望東尼の姫島脱出 (1866年)

-高杉晋作の救出作戦-

1865年の乙丑の獄で望東尼は、糸島半島の西約4キロの「姫島」に流されます。山荘に匿ってもらった過去のある高杉晋作はこれを知ると望東尼の救出を画策します。
1866年9月に晋作の意を受けた福岡脱藩の志士等は望東尼を「姫島」より脱出させ、下関の豪商・白石正一郎宅に送ります。ここで高杉晋作と望東尼は再会することになりますが、その7ヶ月後の1867年4月14日に晋作は結核のため死去します。その時、望東尼は晋作の臨終を見届けたといわれています。そして望東尼も同年の11月6日に三田尻で没しました。享年62歳。