江戸時代まで狼がいた (江戸時代初期)

貝原益軒の『筑前国続風土記』の山家牧の項には次の通り書かれています。
 
冷水峠の南に長政公の時代に作られた馬牧(うままき)の跡が残っている。周りは土手に囲まれる。この牧は山家村、桑野曲村(桑曲)、内野村のあたりにあった。
内野山より狼が出没して馬を悩まし、また冬は雪深くなるため、馬の育成には向かなかった。そのため長政公の時代には馬牧は閉鎖されてしまった。

 
この記述より、筑前には少なくとも江戸初期までは、狼が生息していたと想像されます。
 
また、山田河内の項では熊の事に触れています。
上山田の谷の奥、廿町(約2km)上に熊が畑という所がある。山間部である。熊山という、むかし熊が生息した山がある。
益軒の記述に間違いなければ、江戸時代初期には九州の熊は減少または絶滅していたのかもしれません。
 


馬牧・・・軍用馬の繁殖育成牧場
冷水峠・・・筑紫野市山家から飯塚に向かう長崎街道の山道
熊が畑・・・嘉麻市熊ケ畑。この地の西方に熊ケ畑山があり、これが熊山だと思われます