2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年8月27日 kento わかっていない事 「朝倉橘広庭宮」はどこ? -斉明天皇崩御の地- 中大兄皇子の母、斉明天皇は百済救援のため661年3月九州に入り「磐瀬行宮(いわせのかりみや)」(福岡市南区三宅)に滞在します。 5月には「朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)」に移り、 […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月1日 kento わかっていない事 「隋書」の秦王国はどこ? -筑紫の東にあった中華風な国とは?- 隋の煬帝(ようだい)は日本からの使者・小野妹子が帰国する際に裴世清(はいせいせい)を使者として付けますが、その時の道筋が唐時代初期に書かれた「隋書」に記載されています。 百済を渡り( […]
2023年5月5日 / 最終更新日時 : 2023年9月1日 kento わかっていない事 煬帝の返書の行方は? -小野妹子、返書の提出できず!- 中国の南北朝の時代の混乱が終わりを告げ、隋が中国をほぼ統一すると大和朝廷は遣隋使を派遣します。 遣隋使の船は出発時も帰還の際も那の大津(博多より2㎞ほど西方)を寄港地としていたようです。 […]
2014年12月14日 / 最終更新日時 : 2023年6月11日 kento 福岡史伝 防人と烽の設置 (663年) 663年、新羅・唐の連合軍の九州上陸を想定し、対馬、壱岐、筑紫に防人(さきもり)と烽(すすみ)を設置します。防人とは筑紫の守備のために全国より派遣された兵士で、烽とは敵の動向を知らせる狼煙台のことになります。 百済を制し […]
2014年10月18日 / 最終更新日時 : 2023年12月24日 kento 福岡史伝 壬申の乱-筑紫- (672年) 天智天皇が崩御すると、その半年後の672年6月に、吉野で出家していた天皇の弟・大海人皇子(おおあまのおうじ)が東国に向かい、挙兵の動きを示します。 時の都の大津では不穏な空気が流れ人々は避難の準備を始めます。大津に在した […]
2011年6月18日 / 最終更新日時 : 2023年6月11日 kento 福岡史伝 観世音寺建立 (661年) 斉明天皇は百済復興支援のため入った九州で突然崩御します。中大兄皇子はこの母のために大野山の麓に大規模寺院を創建することを決めますが、これが85年の歳月をかけて完成する「観世音寺」です。 斉明天皇は重祚(二度以上、天皇の地 […]
2011年5月14日 / 最終更新日時 : 2023年6月11日 kento 福岡史伝 白村江の戦い (663年) 倭国が朝鮮半島から撤退して約百年後の、660年百済は新羅・唐の連合軍の攻撃を受け滅亡します。百済の遺臣の鬼室福信は百済復興のため倭国に救援依頼すると共に、倭国に滞在する百済の王子豊璋の帰国を求めます。 これに応えた中大兄 […]
2011年5月8日 / 最終更新日時 : 2023年6月11日 kento 福岡史伝 大宰府、水城、大野城を築く (663年~665年) 「白村江の戦い」に敗れると、中大兄皇子は新羅・唐の連合軍の九州侵攻に備え、664年九州の行政機関「官家」(那津)の機能を造営中の「観世音寺」の西側に移し「大宰府」とします。そして敵の侵攻を食い止めるため前面(博多湾側)に […]