御笠の森

-大野城市山田-
 


以前はこの森に神功皇后を祀る社があったようですが、現在は小さな祠(ほこら)と万葉の歌碑が置かれています。この万葉歌については貝原益軒の「筑前国続風土記」に面白い話が記載されています。詳細は意外な話の「万葉歌の意外な解釈」に書いています。
 

 

【御笠の森】
この森は御笠の森と呼ぱれています。奈良時代に作られた「日本書紀」には
 
仲哀天皇のお后である神功皇后が、荷持田村(のとりのたのふれ・今の甘木市秋月字野鳥)に住む羽白熊鷲という豪族を従わせようとして橿日宮(福岡市東区香椎)から松峡宮(朝倉郡筑前町)へ向かわれていると、突然つむじ風が起こり、皇后のかぷられていた笠が吹きとばされてしまった。そのため、その場所を名付けて御笠というようになった。
 
と書かれています。そして、江戸時代に作られた『筑前国続風土記』には、その笠が引っかかったのがこの森だと書かれています。大野城市域を含む筑紫地区は、明治二九年以後筑紫郡と改称されましたが、それ以前は御笠郡と呼ぱれていました。御笠の森は郡名や川の名などの由来になっているという伝承を持つていることと、良く成長したスダジイやモチノキ、タブノキ、ヤブツバキ、ヤブニッケイ、カクレミノなどで構成され、西南日本の代表的な照葉樹林の姿を良く残していることから、末永く保存保護していくため、平成七年五月二十二日大野城市の有形民俗文化財と天然記念物として指定しました。いつまでも大事にしていきたいものです。
平成十七年三月三十一日

大野城市教育委員会

 

「御笠の森」の案内板より

 



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