母里太兵衛像

-光雲神社内-
 


 

 
 【母里但馬守太兵衛友信像】

黒田二十五騎の一人で智勇兼備の武将で、主君長政公の命を受けて、福島正則公に使いした時禁酒の太兵衛が、なみなみと注がれた大盃の酒を、自若として飲み干し、太閤秀吉より拝領の福島家、家宝「名槍日本号」を持ち帰った話は有名であります。
母里家二十一代嘉道氏外有志が、主君長政公の有名な水牛の兜と当神社の社頭を固める守護像として奉納されたものであります。母里太兵衛居宅の門は福岡城跡に復元され、また墓所は県下嘉麻市大隈の麟翁寺にあります。

光雲神社
光雲神社の掲示板より

 
光雲神社(てるもじんじゃ)は1909年、西公園に建てられた神社です。神社名はここに祀られる黒田如水公と黒田長政公の法名から一字ずつ取られたものです。余談になりますが、参拝させていただいた時、拝殿でお賽銭を入れるとどこからか鶴の鳴き声がして少々驚かされた事がありました。おそらく福岡城の別名「舞鶴城」に因んでのことと思われます。
 



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