博多総鎮守 櫛田神社

-博多区上川端町-
 


 

 
【博多総鎮守 櫛田神社】

御祭神 左殿 天照皇大神 (大神宮)
    中殿 大幡主大神 (櫛田宮)
    右殿 素戔嗚尊  (祇園宮)

例 祭 五月三日四日   博多どんたく
    七月一日~十五日 博多祇園山笠
    十月二十三日   博多おくんち

當社は鎮西の雄都博多の守護神とし天平宝字元年託宣により大幡主大神を鎮祭した 天照皇大神の御鎮座は之より更に古い素戔嗚尊の奉祀は天敬四年に追討使小野好古が反亂の鎮定に下向し京都祇園宮を勧請して祈願した由縁による
爾来 源平合戦蒙古軍の襲来等九州の地に異變勃発の重大事ことに史上有名の人士を始め一般庶民の篤い尊崇を集め就中菊池武時豊臣秀吉等の祈請の事蹟は廣く世に知られている 近時福岡市の発展と共に殖産興業陸海交通の守神として信仰愈々篤くまた開運厄除不老長寿の神として今日の社頭の隆盛を見るに至っている
當社の祭禮中祇園例大祭は国の重要無形民俗文化財に指定された博多祇園山笠の奉納行事によって全国的に名聲を博し七百五十有余年傅来の夏祭の豪華版である
尚社頭の銀杏の木は天然記念物に指定され古くから博多の祝い歌となって親しまれ神木として名高い

県指定天然記念物
櫛田の銀杏
県指定無形文化財 國重要無形民俗文化財
博多祇園山笠
博多松ばやし
その他 博多関係の文化財を始め幾多の資料を蔵している

特殊神事 博 多 節 分 祭(二月節分の日)
ぎ な ん 祭(三月十二日)
夫婦恵比須千座祭(十二月二日三日)

社務所

 

櫛田神社の石版より

 
 
博多の総鎮守、櫛田神社の祭神は大幡主大神、天照皇大神、素盞嗚大神の三神で、「博多祇園山笠公式ホームページ」には大幡主大神が祀られたのが757年、天照皇大神は記録になく、素盞嗚大神を祀ったのが941年のことと書かれてあります。素盞嗚大神を祀ったのは平安時代の「藤原純友の乱」で下向し鎮圧した小野好古といわれ、その後、1587年には戦国時代の騒乱で荒廃した博多を再建する「太閤博多町割り」で本殿が建立されることになります。
また全国的に知名度の高い神事「博多祇園山笠」は鎌倉時代に聖一国師が、当時流行した疫病を鎮めるため町人の担ぐ施餓鬼棚に乗って博多の町に祈祷水を撒いて廻ったのが始まりといわれています。

境内には「太閤博多町割り」で建てられた「博多べい」、「川上音二郎寄進の碑」、樹齢千年といわれる「大銀杏」、「蒙古軍の碇石」、「飾り山」などの観光の見どころが多数あります。
 


島井宗室邸跡より移築された博多塀

 
【博多べい】
天正十五年(西暦1587年)豊臣秀吉の太閤の博多町割り(戦災復興都市計画)によって、たくましくよみがえった市街には「博多べい」と呼ぶ土べいが長く連なった。
郷土再興の悲願をそのままに 焼け石 焼け瓦が厚く塗り込められ、当時、重なる戦禍の焦土から奮起した根性と心意気を示して余りがある。このたび、博多三商傑の一人、島井宗室の屋敷跡に三百八十余年の風雪に耐えた最後の「博多べい」が四散の危機に直面するに当って、広く志を集め、ここに移築再建した。
但し右方は断面を表す。
 
櫛田神社「博多べい」の碑より

 
豊臣秀吉の博多復興事業「博多町割り」の時、廃棄する場所のなかった瓦礫を新しく建てた塀の中に塗りこめました。これが博多塀になります。この「博多町割り」は黒田官兵衛や石田三成らが中心となり計画され、博多の豪商・島井宗室や神屋宗湛が資金を提供し実施されました。
 



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