月形洗蔵(つきがたせんぞう)

【1828年~1865年】

儒学者の家に育ち、王政復古の思想を掲げ参勤交代の不要を藩主黒田長溥に建白しますが、これが長溥の怒りを買い蟄居させられます。しかし三条実美ら五卿福岡遷座の際には罪を許され、 下関まで五卿を出迎えに行くことを命じられています。
五卿は月形ら筑前勤皇党の説得に応じ延寿王院に移りますが、その翌年には突然、勤王党弾圧の「乙丑の獄」(いっちゅうのごく)が起こり刑死することになります。