筑前のUMA (1809年)

-放火し味噌を食い荒らす奇獣「だつ」-

「金印」や「日本号」を所蔵する福岡市博物館には明治初期に書かれた「旧稀集(きゅうきしゅう)」という書物が所蔵されています。
この本は博多中洲の庄林半助という箱曲物細工師(弁当箱や柄杓などの職人)の親方によって書かれた江戸時代後期の見聞集で、好奇心をそそる事件や噂話などが数多く載せられています。
その中に「1809年、山家宿で『だつ』という化け物が出没した。」という話が取り上げられているのです。「だつ」は留守の民家に忍び込み火を付けたり、味噌を食い荒らしたりします。そんな事が数ヶ月続いたため、藩の役人も動きますが結局なんの手がかりももなく事は収束したという事です。

それから十数年後、福岡藩第十代藩主・黒田斉清は長崎オランダ商館に博物学者のシーボルトを訪ねた際に、この「だつ」の事を次のように話しています。

「1813年(「旧稀集」と相違があり)の頃に山家駅に奇獣が現れ、食べ物を掠め、火を放つ騒動が数ヶ月続きました。しかしその獣の姿を見た者はなく、ただ足跡が残るのみで、床下でもその歩幅は1.5m程もあり、また狭い窓からも出入りしているため体の大きさを推し測る事ができませんでした。ある時、信石(砒素)を入れた柿を置いてみましたが、信石の入っていない柿だけを選んで食べ、信石入りの方は残されていました。その後、色々と手立てを講じますが、とうとう捕獲することはできませんでした。
今、長崎にはオラウータンという動物が連れて来られているようですが、オラウータンとその獣の足型は似ているとのことです。オラウータンとその獣の関連性はあるのでしょうか?」

これに対しシーボルトは「オラウータンはボルネオに住んでおり、無知で、気性もやさしく、ずるがしこくもありません。その獣がオラウータンでないのは間違いないでしょう。」と答えています。
この問答はこの場に同席した安部龍平の書いた「下問雑戴(かもんざっさい)」という書物に記載されています。
こちらの書物は福岡県立図書館に所蔵されているようです。


写真右上は庄林半助が箱曲物屋を営んだ中洲北端に位置する「中洲中島町」。左下は筑紫野市山家の旧長崎街道沿いに残る「山家宿西構口(かまえぐち)」土塀になります。