「大刀洗」地名の由来 (1358年)

-「関ヶ原」に並ぶ大合戦「筑後川の戦い」-

1358年「関ヶ原の戦い」「川中島の戦い」と並び称せられる「筑後川の戦い」が起こり、少弐、大友を中心とする北朝軍と懐良親王、菊池を中心とする南朝軍が筑後川の北側で激突します。
戦いは南朝方の有利で終わりますが、死傷者は北朝軍18,000人、南朝軍6,900人といわれ、戦いの壮絶さは「関ヶ原の戦い」「川中島の戦い」も到底及ばないものでした。戦いの終わった菊池武光の軍が、近くの小川で血のついた刀を洗うと川は真っ赤に染まったといわれています。
これが三井郡大刀洗町の地名由来になります。
この地には江戸時代に「日本外史」で勤皇の志士たちに多大な影響を与えた頼山陽も訪れ、詩を詠んでいます。