新羅海賊の入寇 (869年)

平安初期の800年代、新羅の海賊が度々九州北部に来寇します。これには次のような事情があります。

676年朝鮮統一を果たした新羅はこの頃には衰退期を迎え、地方の王族や豪族が力を持ち始め、各地で反乱が起こります。このような混乱の中で新羅の海賊の行動が活発化するのです。博多では869年に2隻の海賊船が来寇し、豊前の船を襲い年貢を略奪して逃げ去ります。この事件により警固所(現在の警固。福岡城の東側付近)が設置されたといわれています。
新羅の海賊はこの他に対馬、壱岐、松浦、平戸や有明海に入って熊本まで姿を現しています。

その後、新羅には892年に後百済、901年に後高句麗が起こり、後三国時代となりますが、後高句麗の武将、王建が起こした高麗が935年に朝鮮統一を果たすことになります。