鑑真和上来日 (753年)

日本の留学僧から来日を懇願された唐の高僧・鑑真は出国を決意しますが、暴風に遭遇したり、身を気遣う弟子や玄宗皇帝の反対で渡航の失敗・中止を繰り返します。そして11年の苦難の末、6回目の渡航でようやく来日を果たし、筑紫の観世音寺で初の授戒を行います。翌年には奈良東大寺に移り、そこで聖武上皇や孝謙天皇の他、多く僧に授戒を行います。
759年、奈良・薬師寺の北に唐招提寺を建立し、その地で763年に入寂しました。

「これ法の為の事なり 何ぞ身命を惜しまんや 諸人行かざれば 我即ちいくのみ」
これは仏法のためであり なんで命を惜しもうか 誰も行かないのであれば私が(日本へ)行くのみではないか

「愁うることをもちいざれ よろしく方便を求めて 必ず本願遂ぐべし」
悩むことなどはない 様々な方法を思考錯誤し 必ず本願を叶えることが重要なのだ


鑑真和上については井上靖氏「天平の甍」に詳しく書かれていますので、興味のある方はご参照ください。