今川氏の九州攻略 (1372年)

1370年、九州に入ることも叶わなかった渋川義行に代わり九州探題に命じられた今川了俊は、九州攻略を三方面より進める策を取り、豊後に嫡男の今川貞臣を上陸させ高崎山城に籠城させます。また弟の今川仲秋を肥前へ上陸させ大宰府へ向かわせ、そして自らは豊前門司より大内氏などの中国勢と共に上陸します。
この間、宮方の菊池武光の嫡男・菊池武政は高崎山城の攻略から、肥前方面の今川勢の押さえへと慌しく動きますが、三方面から今川氏の攻撃を食い止めることはできませんでした。
了俊はその半年後(1372年6月)に懐良親王、菊池武光を筑後に追い、大宰府を12年ぶりに武家派の勢力下に置きます。