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福岡人物伝 【栗山大善】 黒田官兵衛の信頼の厚かった栗山利安の息子。 栗山大善は第二代藩主の座に黒田長政の長男の忠之を就けますが、 その後、何かと行動に問題のある藩主・忠之との間に軋轢を生じ収拾不可能となると幕府に訴え出ます。 幕府は徳川家と黒田家との関係を重視し大善を南部藩預けとし、忠之の寵臣を高野山への追放し事を収めました。 これが「黒田騒動」ですが栗山大善は南部藩で余生を過ごし20年後に没することになります。 この時の藩の存続を危うくした大善の行動に関しては肯定派と否定派に分かれたようです。 この事件との関係はないのでしょうが、貝原益軒は「筑前国続風土記」で 甲羅干しをしていた大亀をたまたま通りかかった栗山大善が得意の鉄砲で撃ち殺したため大洪水が起こったという伝説を紹介しています。 関連記事:大善 |
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わかっていない事 【狗奴国は「熊野」?「球磨」?】-卑弥呼に属せずの「狗奴国」- 狗奴国(くなこく)は直接、福岡に関係ありませんが、「狗奴国=熊襲」の場合は間接的に関係してきます。 魏志倭人伝に記載される邪馬台国の敵国「狗奴国」は、熊野国(和歌山県)、球磨国(熊本県)、出雲、美濃地方の豪族など諸説あります。 以下、魏志倭人伝の抜粋です。 「南、邪馬台国に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。 ~中略~ 次に斯馬国あり。 ~中略(19カ国名あり)~ 次に奴国有り。此れ女王の境界の尽くる所なり。その南に狗奴国あり。男子を王となす。その官に狗古智卑狗あり。女王に属せず。」 「その南」の「南」は「北」と解釈されます。これは当時の中国では、日本列島の南北が逆になっていたためです(この様な地図も残っているようです)。この事より「美濃地方の豪族」といった説が濃厚だと思われています。しかし九州内の南北は当時の中国で理解されていて且つ「その南」の「その」が「倭国(の奴国)」を指していれば、球磨国(熊本県)説も浮上し、「狗奴国」と南九州地方の「熊襲」は同一民族ということになります。また「その官に狗古智卑狗有り」の「狗古智卑狗」は「かくちひこ」と読みこれが、「菊池」という地名に関連するのではとの説もあります。 この説とは別に「かくちひこ」は「河内」につながるのではないかとの考え方もあります。 この場合「その南」の「その」は「倭国」ではなく「邪馬台国」のみを指すことになります。方角の解釈は難しくなりますが、これが熊野国(和歌山県)説になります。以上の説は「邪馬台国畿内説」を前提としていますが、「邪馬台国九州説」を採ると当然、狗奴国は「球磨国」で熊襲である可能性が高くなります。 これらの説とは別に「国譲り伝説」や「四道将軍」の四方面のひとつの方面が「山陰道」ではなく「丹波道」になっている事から山陰地方の丹波の先の国「出雲」が狗奴国ではないかとの説もあります。 |
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